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屋号

私の住んでいる集落は、古い集落だ。鎌倉時代のお話もあるから、相当古いのだろう。私の家の初代のお墓の年号は元和である。我が家は、江戸時代の始めから住み始めたようだ。
百軒ほどの集落だが、それぞれの家に屋号がある。子供の頃は、音でしか理解できなく、「しょーべーどん」とか「まつしろどん」って、なんだろうと思っていた。後から、「庄兵衛」「松四郎」など、名前だと分かった。他の屋号は、「豆腐屋」とか「まんじゅう屋」とかもあった。子供の頃は、「まんじゅう屋」には、まんじゅうがたくさんあっていいなと思っていたが、そんなことは無かった。
今でも屋号で呼び合っているが、私はほとんどわからない。それを聞いた同級生が、苗字、屋号の両方の地図を持ってきてくれた。これが、面白い。
「材木屋」「船頭さ」「大工」「左官どん」「わたや」「こうや」「かたや」「茶屋」「花火や」、、、色々な屋号がある。
材木屋や船頭さは、川のそばだ。まんじゅう屋や茶屋は、県道沿いだ。昔は、川や街道が賑わっていたんだろうな。大工さん、左官さんもいる。家はみんな自分たちで建てていただろうけど、それぞれの職人さんもいたんだね。「わたや」「こうや」「かたや」、衣類の機織り、染めも集落内でできたんだ。「嶋屋」という屋号の親類がいる。なんで嶋屋というか、わからないと言っていたが、16世紀中頃から、舶来品の縞の織物が流行り、島渡りとしてもてはやされて、嶋という字をあてていたこともあったというから、縞の織物を織っていたのではないかと思う。
今でも、近所には花火師がいる。村祭りの花火を上げるもの、村の人だ。
屋号の地図をじっと見ていると、昔のことがどんどん想像されて、ちっとも飽きない。集落は、なんだかとっても活気がありそうだ。勤め人が多くなった今よりも、もしかしたら、もっと賑やかな毎日ではなかったのだろうか。
屋号には、物語がとじ込められている。そんな気がする。

2015-11-09 | Posted in つれづれ, ブログ, 昔の生活No Comments » 

 

唄う遊び


「わらべうた」という本を買った。パラパラ見てみると、なつかしい。
ずいずいずっころばし、かごめかごめ、あんたがたどこさ、こんな唄で子供の頃は、たくさん遊んだ。
手遊びというのだろうか。よくやったのは、「ずいずいずっころばし」「茶摘み」「お寺の和尚さん」など。「塩煎餅」という遊びもあった。最初は皆が手のひらを下に向けて並べる。親になった子が、「しょーせんべい、しょーせんべい、どーのーせんべいが焼けた こーのーせんべいが焼けた」と唄いながら、人差し指で順番に差していく。唄が止まった時に差していた手のひらを裏返し、また唄う。そして、もう一度差されたら、焼き上がりなので、手をひっこめる。そして最後に残った手の人が、次の親になり、また、煎餅焼きが始まる。結構飽きもせず、何度も遊んでいた覚えがある。この曲は、本には載っていなかった。新潟の遊びなのだろうか。
「せっせっせーのよいよいよい」という言葉から始まったお寺の和尚さんも、よくやった。「らかんさんがそろたら」は、今やったら結構白熱しそうだ。反射神経も鍛えられそう。
「かごめかごめ」「花いちもんめ」「開いた開いた」など、屋外での唄いながらの遊びもたくさんあった。「だるまさんが転んだ」、なども唄かな。かくれんぼも、「も~いいかい」、「ま~だだよ」、と声を上げながらやっていた。
「明日天気になーれ」と言って、庭で下駄を飛ばしていたっけ。こんなのも短い唄といえば唄かもしれない。
思えば本当に唄いながら遊んでいたわけだ。終わりは必ず笑いと歓声。単純で、すぐに結果が出て、飽きない。そんな遊びだった。
今も、唄いながらする遊びってたくさんあるんだろうか?それとも歌っているのは、パソコンやスマホの方なんだろうか?

2015-11-05 | Posted in つれづれ, ブログ, 昔の生活No Comments » 

 

セクシーな人参

裏で野菜を洗っていたら、洗い桶の底に小さな人参が。拾い上げてみたら、なんともセクシーな人参である。手のひらに乗るほどの小ささで、なんだかかわいい。
この形をみていたら、土偶を思い出してしまった。お尻が大きくて、安産型のスタイル。あまりの形のおかしさに、つい撮影。
実は、女性の大事なところは、昔から、笑いを誘うものだったらしい。
天の岩戸の中に隠れた天照大神を外にだそうと、アメノウズメは、「胸をさらけ出し、裳の緒(ひも)を大事なところにたらして、踊った」のだそうだ。伏せた桶に乗って踊ったのも、よく見えるように?かもしれない。それを見た神様たちは大笑い。不審に思ってちょっと岩戸を開いた天照大神は、外へ連れ出されてしまったのだ。
こんな昔話も思い出した。鬼に捕まっていた娘を助け出し、船で逃げ出した母娘が、鬼に見つかった。鬼たちは、ものすごい勢いで川の水を飲み出し、船が吸い寄せられて絶体絶命!というところで、庵女さまが現れ、「お前たち、ぐずぐずせんで、早よ大事なところを鬼に見せてやりなされ」と言って、三人一緒に着物のすそをまくるのだ。これを見て鬼たちは笑い転げ、水をすっかり吐き出し、助かったという話だ。この展開を読んだ時は、ひっくり返るほどびっくりした。
女性の大事なところって、かなり笑えるものだったのだ、昔から。
浮世絵の春画は、「笑い絵」と言っていたらしい。それもそういうことなんだ。
セクシー人参を母に見せたら、大笑いしていた。
「縄文のビーナス」という、おしりもおなかもぷっくりした豊満な土偶がある。
この人参だって、なかなかのプロポーション。
よし、この人参は、「畑のビーナス」だ。「茄子」じゃないけどね。

2015-11-02 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

初白鳥

今年は、例年よりも10日早く、白鳥が瓢湖に来たらしい。冬が早いのだろうか。そんな話を友人としていた。
今日、新潟からの帰り道、急に道が渋滞し始めた。「おかしいなあ。帰宅時でもないし、こんな時間にどうしたんだろう」と思いながら、ゆっくりと進んでいった。
と、前方の田んぼに、白い塊が、いくつも見える。
「白鳥だ!」
稲刈りが終わった後に出てくる二番穂は、白鳥の好物である。瓢湖に渡ってきた白鳥は、昼間は家族単位で、周辺の田んぼに餌を食べにくるのだ。
田んぼに群れている白鳥は、新潟の冬の風物詩だ。
「今年初めて見る白鳥だ。かわいいなあ」
近づいてくるにつれ、よく見たさに、思わずスピードも緩む。土の上にいる白い白鳥は、なんだか、不思議だ。野良なんだよね。当たり前だけど。
白鳥のいる田んぼを通り過ぎると、渋滞が嘘のように終っている。、
なあんだ、皆、白鳥が見たくて、ついついスピードを落としていたんだね。
そう、白鳥渋滞だったのである。
これからは、たくさんの白鳥を見ることになるので、そのうちあんまり珍しくなくなるのだが、初物だったからねえ、今日は。
初物を食べると寿命が伸びるというから、今日は初白鳥を見たから、寿命が伸びる?
なんだか縁起がいいねえ。

2015-10-28 | Posted in ブログ, 自然No Comments » 

 

夕焼け小焼け


秋は夕焼けがきれいだ。これは、ちょっと前に見たウチの畑からみた夕焼けだ。この日は空気が澄んでいて、雲の具合もちょうどよく、本当にきれいな夕焼けだった。
ちょうど畑の目の前の里山に沈むので、子供の頃から、夕焼けはよく見ていた。そして、大好きだった。
小さい頃から、一年の中では季節では秋、一日では夕焼けが一番好きだった。子供の頃から黄昏ていたようでもあるが、さすがに近頃は、季節は夏や春もいいかなと思ってきた。でも、夕焼け好きは変わらない。
日が沈む頃になってくると、「今日の夕焼けはきれいだろうか」と、気になってくる。家の中にいても、今日はきれいそうだという予感がすると、外へ出て確かめてしまう。夕食の準備をしていても、台所の窓から夕焼けが見えたら、もうだめだ。すぐに外に見に行ってしまうし、とてもきれいだと、「夕焼けがきれいだよ」と家族を呼びにいってしまう。夕焼けは、私には、夕食の準備を中断してでも、見るべきものになっている。

日が沈んでから、だんだん空が赤くなる。そして、だんだん色あせて、下の方だけ茜色が残る。その変化していく様子を、ずっと見ているのが好きだ。
先日、お弟子さんが、「夕焼けの上の群青色がいいですよね」と言っていた。確かに、その部分もいいが、群青色と茜色のあいだの、薄いすみれ色の部分が好きだ。
毎日見ても飽きない。かなりの夕焼けフリークなのだ。
この秋は、あと何回、きれいな夕焼けに会えるだろうか。

2015-10-27 | Posted in ブログ, 自然No Comments » 

 

土の微生物


ノーベル賞をもらった大村智先生は、伊東のゴルフ場の土の微生物から、新しい薬を作ったという。「土」、と一言で言っても、色々な土があるとは思っていたが、そこにしかない微生物があるとは驚きだった。
たしかに土という物質があるのではなく、いろんなものの集まったのが、土なんだろう。
そこにしかいない微生物というのもいるのだ。なるほど。
東京から新潟に帰って、最寄りのJRの無人駅に降り立つと、ただよう匂いに、「ああ帰ってきた!」といつも思う。それは、土の匂い、草の匂い、なんだかそんな感じだが、なぜ、この駅に降りるとそう思うのかなと思っていた。
それはもしかしたら、私の集落の微生物なんじゃないか?などと妄想してしまう。
だって、同じような田んぼと里山という環境は、新潟ではいたるところにあるのに、この駅に降りると、ああ、この空気と思ってしまうのだから。
味噌も、自分の家が一番美味しいというのは、家についている菌がそれぞれ違うからと言っていた。私はいまだに、子供の頃に食べたウチのお味噌が一番美味しかったと思っている。味噌樽はとっくに捨ててしまったので、あの味はたぶんもう再現できないのかもしれない。残念だ。
自分の家の畑の野菜は、よく洗って食べるが、少し位の土は食べているかもしれない。もしうちの畑にしかいない微生物がいるとすれば、それはうちの畑特有の食べ物ということになる。同じ釜の飯ならぬ、同じ土の野菜で、同じ微生物を食べ、親近感がわくこともあるかもしれない。家族の団結力が増えるかもしれない。
鮭が、間違いなく自分の生まれた川に帰るのも、川特有の何かがあるのだろう。
なんだかすごい気がしてきた。
身土不二とはそういうことかいな。

2015-10-25 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

東京教室お浚い会、無事に終了

10月17日、第5回朝川会東京教室のお浚い会が、無事に終了しました。
今回も会場は代々木能舞台。すっかり朝川会のホームグラウンドとなった素敵な会場で、日頃のお稽古の成果を発表しました。
今回は初舞台が3人。



いつものメンバーも、弾き唄いに挑戦したり、太鼓や鉦など鳴物に挑戦したり。


舞台を降りてガッツポーズの人、途中でアカペラになってしまった人、止まってしまって仕切り直しの人、舞台袖で帰りたいと言った人、3機編隊の2機が急下降、あわや崩壊かと思われたが、無事に編隊を組み直し着陸した人たち、などなど。

なにはともあれ、終演後は、皆でおいしいお酒を飲みました!
さあ、次は新潟のお浚い会。そして、話は早くも来年の研鑽会へと盛り上がりました。
皆様、来年もがんばりましょう。
皆様、ぜひ成長ぶりを見に、来年もお越しくださいませ。

2015-10-24 | Posted in ブログ, 朝川会No Comments » 

 

実用的な庭


椿の実が、たくさん落ちた。庭のすみにまとめてあった。
「これって絞ると油が出るんだよね。このままじゃもったいないねえ」と言うと、母が、「昔は絞ってくれるところが、あちこちにあったんだよ。絞りに来てくれるのもあった」のだそうだ。うちのそばにも、絞ってくれる所があったらしい。
「その油は、どうしたの?」
「食べたり、髪につけたり」
そうか、椿油は、髪にいいというけれど、自家製だったんだ。浅草に、椿油であげる天ぷら屋さんがあって、とっても美味しかったと聞いたことがある。自家製椿油、美味しそう。
うちには、大きな椿の木が2本ある。子供の頃は木登りにちょうどよかった。きれいだなと思っていたけれど、食用、美容用という意味もあったんだ。そういえば、大きな柿の木も2、3本あったし、胡桃、栗、竹など、食用になる木や植物は、庭にたくさんあったように思う。熊本城は銀杏の木が多いのは、籠城用に植えているらしい。
昔のガーデニングは、実用的。かなり実になるガーデニングだ。

2015-10-19 | Posted in ブログ, 昔の生活No Comments » 

 

第七回 新潟教室お浚い会 

新潟教室のお浚い会です。初出演の新人も交え、日頃のお稽古の成果を発表します。
会場は、明治の風情を残す元斎藤家本宅の一部を移築した「燕喜館」です。
ちょっと三味線を聴いてみたい方、邦楽にご興味のある方、どなたでも、お気軽にお越しください。
皆様のご来場を心よりお待ちしております。

・日 時 平成27年11月15日(日) 開場 14時 開演 14時半
・場 所 燕喜館
新潟市中央区一番堀通町1番地2 白山公園内
http://www.yoyoginoubutai.com/
・入場料 無料
・主 催 朝川会
・お問い合わせ お問い合わせフォームよりご連絡ください。

2015-10-13 | Posted in ブログ, 朝川会No Comments » 

 

忘れてしまってはいけなかったこと

母に言わせると、私は子供の頃、夢見がちというか、ちょっと不思議なところがあったらしい。
花壇の脇にしゃがんで、じっと花を見つめて動かないことがよくあったそうだ。
何をやってんのかなあと思っていたらしい。
その、何をやってんのかなあと思われていた時、何をやっていたかは、実は覚えている。
いくつの頃か忘れたが、私は、「なんで皆こんな大切なことを、大人になると忘れてしまうんだろう。私は絶対忘れないようにしよう」と心に誓っていた。そして、時々、確かめていた。
その時は、花壇の脇にしゃがんで、じっと下を見るようなポーズだった記憶がある。
花を見ていたのではない。何か自分の腹の底というか、そのずっと下というか、そんな感じなのだが、そこに意識を持っていくと、何か忘れてはいけないことが、確認できるのだ。そして私は、「うん、まだ覚えている。大丈夫」と思ったものだ。
いつの頃からか、何を「絶対に忘れないようにしよう」と思ったかを、忘れてしまった。知識が増えたからか、人間関係が広がったからか、文字を覚えたからか、理由は分からない。
それから何十年。時折、私は思い出す。「いったい何を忘れないようにと思っていたんだろう」
それは、ずっと続く私の疑問だ。なんだか抜けない刺がのどにささっているようで、小さいながらも、チリチリと時々、存在をアピールしてくる。
下を見て、なにかを確認して、「うん、大丈夫。まだ覚えている」と頷いたのだ。
いつもは気にしていないことなのだ。でも、確認するとわかる大事なことなのだ。それは覚えている。でもいったいそれはなんだったのか。
今、下を見ても、何もわからない。いつか思い出す日がくるのだろうか。
それとも、忘れてしまってもよかったことなのか。

2015-10-13 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

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