銅鐸つづき

庭は椿が花盛りだ。よく見ると微妙に色合いも形も違う。

戦いに負けた銅鐸文化の人たちは、命令されて、自分たちで山の斜面を掘り、大事な銅鐸を横たえて埋めたのではないか。舌は、二度と銅鐸が鳴らされないように、別にして、捨てられた。
たぶん、抵抗をせず、だまって皆で山を掘ったに違いない。そんな光景が目に浮かぶ。
大化の改新頃の郷の家族構成が載っていた。公奴婢、私奴婢が、非常に少ない。268人の郷で一人も奴婢がいないところもあった。
これはどういうことなのだろう。
戦って負ければ、勝った側の奴隷になる。戦利品だから。
こんなに少ないのは、もしかしたら、戦わなかったのではないか。
戦わずにムラを明け渡せば、制服者のムラの一員となり、奴隷にはならなかったのかもしれない。そうして、婚姻などを通じて、混じっていったのかもしれない。
武器を作らなかった人たちは、非戦の人たちなのではないか。
ただし非戦ということは、諦めて服従しているのではないような気がする。
権力に対して、こちらも権力で集団をまとめ、戦うことは、同じ価値観の集団になってしまう。それは、自分たちの大事にしているものを、捨ててしまうことなのではないか。
暴力に対して、非戦で応じたとすれば、それは、銅鐸文化の人たちの、根本的な思想を捨てなかったということだ。
青銅器は、出来た時は金色に輝いているのだという。銅鐸はどんな音がしたのだろうか。

2016-04-05 | Posted in つれづれ, ブログComments Closed 

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