庭は皆の通り道

今年は椿がきれいだ。黒椿が、たくさん咲いた。

子供の頃は、よく近所の人が庭を通っていた。理由は簡単。私の家の奥に住んでいる人は、ウチの庭を通った方が近道だからだ。
「どうもね」「おばんなりました」などと、一言交わしながら、軽く会釈をして通っていく。こちらが庭先にいたりすると、そのまま一緒に立ち話をしたり、縁側に座ってお茶を飲んだりしていた。
これは私の集落に限ったことではなく、母の実家でもそうだったから、どこでもそうだったのだろう。お互いの庭が、半ば公共的なスペースだったような気がする。
その時に垣間見えるお互いのプライベートな事々も、見ないような見たようなふりをしながら、なんとなく暮らしている。
近所の犬も猫も、鶏も歩いていた。よその犬や猫もかわいがっていたし、食べ物もあげていた。
今思えば、子どもの頃は、個人同士も、家同士も、人間と他の生き物の間も、境がボワーっとしていた
今はさすがに、他人の家の庭を近道にと通る人はいないし、犬も猫も鶏も放し飼いにはなっていない。
けれど、キジは相変わらず、縄張りチェックのため、毎日庭を歩き回っている。もっともキジから見れば、自分の縄張りに、人間が住んでいるということになるけれども。
この庭は一体誰のものだろう、そうやって考えると、今でもボワーっとしてしまう。

2016-04-12 | Posted in つれづれ, ブログ, 昔の生活Comments Closed 

関連記事