銅鐸

庭の水仙を玄関の出窓に生けた。ポーランドのティーポットと一緒。

「日本史」のことが気になって、高校時代の参考書をはじめから読んでみた。縄文時代から弥生時代になる頃、弥生式土器と前後して、北九州にはじめて青銅器および鉄器が現れる。初期のものは、明らかに中国あるいは朝鮮半島製のものだったが、そのうち、日本でも制作されるようになった。
青銅器の代表的なものは、銅剣、銅鉾、銅戈、銅鐸、銅鏡、その他、鋤・鏃などがあったという。武器と祭事、農耕用器具である。
この中で、銅鐸は、日本で作られた形態のものだという。
銅鐸は、大きな鐘のようなもので、中に舌というものがぶら下がり、これを振って音を出していたらしい。銅鐸の使用目的は、何かの神事、祭りに使われたのかもしれない等、諸説あるらしい。
武器として入ってきた銅剣、銅鉾は、はじめは細身で鋭利で実用的な細形だったのが、国内で生産するようになると、薄手で、ひらたく大形になり、非実用的な儀式化したものになっていったのだという。
武器として入ってきたものが、国内生産するようになると、武器ではなく、儀式の道具になってしまう。武器を作るのに優れた材料なのに、その材料で儀式用の大きな銅鐸を作ってしまう。
これはどういうことなのだろう。
優れた武器を作って、富を持っている他の人々に戦いをしかけ、ぶんどることはできたはずだ。なのに、そうではないものを作ってしまう。
ダイナマイトを発明したノーベルは、それが多くの人を殺してしまう殺戮道具になってしまったことにショックを受けた。江戸時代では、戦がなくなり、火薬が花火になった。
技術の平和利用とはなんだろう。
その昔、武器を作ってより多くの富と権力を手に入れることができたのに、しなかった人々の暮らし、文化があったのだ。
3世紀後半頃、銅鐸はぷっつりと無くなってしまう。発見される時は、集落から離れた山の斜面などに横向きにされて埋められている状態なのだそうだ。音を出すために必要な舌は、一緒には埋められていないそうだ。
日本書紀、古事記には銅鐸に関する記述は全く無い
結果的には、新しい材料と技術を使って、武器ではなく祭事用の青銅器を作った人々は征服されてしまったのだろう。
優れた材料、技術を手に入れた時、何を作るかというのが、どういう文化なのかということになるのではないか。
原子力の平和利用、武器輸出解禁、これらの言葉を聞く時に、埋められた銅鐸を思い出す。

2016-04-04 | Posted in つれづれ, ブログComments Closed 

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