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ダンゴムシ
紫陽花ももう終わりだ。少し前の写真で、ガクアジサイ。この花も好きだ。。

ダンゴムシは小さい時から、身近な虫だ。どこにでもいるし、石をどけるとその下には、いつもたくさんいた。ちょっと触ると、くるっと丸く団子状になってしまう。それがおもしろくて、子どもの時によく遊んでいた。
畑の草をとって積んでおくと、すぐにその下は、ミミズとダンゴムシでいっぱいになる。ダンゴムシは草を食べて分解してくれるし、ミミズは、さらにそれを食べてよい土を作ってくれるので、両方共、畑にとってはありがたい虫たちである。
先日、草の下にダンゴムシがいっぱいいたので、皆踏みつぶした、と言っていた知り合いがいた。残念。ダンゴムシはいい土にするのに必要なのに。益虫ですよと教えたら、びっくりしていた。
何も悪いことをしていない、もしくは良いことをしているのに、嫌われて害虫だと思われる虫たちを、不快害虫というのだそうだ。ダンゴムシもその一つらしい。なんだか可愛そうだ。
もっとも害虫とか益虫というのは、人間からみての話しだから、他の生き物からみたら、益虫、害虫も違うかもしれない。それに、昆虫の世界は、まだわかっていないことがたくさんあって、害虫かと思っていたら益虫かもしれないということもあるらしい。それに、もっと大きな自然の循環からみたら、益虫も害虫もないかもしれない。
でも、ただ草を食べていただけで、踏み潰されちゃったダンゴムシたちにとって、人間は間違いなく害虫、いや害人なんだろうな。
東京でも新潟でも、笛のお稽古

東京教室では、すでに以前から笛のお稽古をしていましたが、新潟教室でも、3月から笛のお稽古が始まりました。講師は福原百麗先生。東京教室でも、笛を教えていただいています。現在4名で、お稽古をしています。

笛は皆さん初心者ですが、「日中の仕事の合間にちょっとでも時間が空くと吹いてます」、「三味線と笛のお稽古は必ずセットです」と、その意気込みは相当なもの。すでに、秋のお浚い会には、皆で笛の初舞台か?と盛り上がっています。
東京教室も、笛のお稽古を今年から始めた方が3名、合計9名でお稽古をしています。「お互いの発表に笛をあしらったりしたい」と、こちらもお稽古に熱が入っています。
笛や太鼓などの鳴り物を入れると、端唄の演奏は、もっともっと楽しくなります。
ますます端唄のお稽古の、楽しみの幅が広がっています。
自由な三味線
昨日、東京は夕方雷雨。その後、きれいな虹が出た。しかも二重の虹!良いことありそう?新潟では、ナツツバキが花ざかりだった。

三味線のチューニングは、「調子を合わせる」、という。洋楽しか知らなかった私は、基本的な調子が三種類あると知ってびっくりした。ある調子の時は、「ド」の音の場所が、別の調子だと「ミ」になる。それを頭で置き換えようとしたが、こんがらかって、わからなかった。しかも、三本の糸の音も、唄う人の高さに合わせて、全体に上げたり下げたりするという。絶対音感を誇っていた私は完全にパニックだった。
さて、どうするか。考えてもどうしようもないので、何も考えずに、ひたすら習ったまま、繰り返して弾くだけにした。そうしたら、耳と手が直結して、そのように弾くのが当たり前になってしまい、絶対音感など忘れてしまった。
三味線のチューニングは、一番低い音の糸を、どの音に合わせるかで決める。調子は数字で表し、4本なら洋楽でいうド、6本ならレだ。しかし、これもたんなる目安で、たとえばいつも4本で唄っている人でも、「今日はちょっと調子が悪いから、4本メリで(メリとは低いという意味)」となったりする。糸をちょっとゆるめるだけなので、どんな高さでも自由自在である。
最初はびっくりしたが、こっちの方が、合理的なんじゃないか?そんな気がした。たとえばピアノなら、ちょっと低く唄いたいとなったら、転調しなければならず、とても大変だ。黒鍵が多くなったりして、弾きにくくなったりする。でも、三味線は、全体を上げ下げするので、どんな高さでも、弾き方は一緒だ。
それにピアノの場合は、半音の半分低くなど、できない相談だ。それを思うと、三味線は、なんだか、とても、自由で楽しい気がした。
目の前に立ちはだかる壁を前に、「どうやって乗り越えましょうか?」と言っている人たちの横で、壁の脇をするっと通り抜け、「登らなくても、横からきたらどうですか?」と向こう側から言われているような気がした。
でこぼこの道がずっと続くのを前に、「どのように舗装しましょうか?」と言っている人たちを横目に、靴をはいて、さっさと歩き出している人を見たような気がした。
なんだか、発想の転換というか、そうか、人間が合わせなくても、そっちを動かせばいいんじゃない?という、あっけらかんと脱力した、愉快な気分がした。
非常に精巧な楽器を作って、出来上がったものに使う人間が合わせる。もしくは、自由自在になる部分を多く残したシンプルな楽器を作って、使う人間に楽器をあわせる。どちらかだ。
私が、三味線が好きなのは、そんなこともあるのだな。
雨のカエル
紫陽花は色んな種類があるが、オーソドックスな花が好きだ。

梅雨空の毎日だ。空気がなんとなく湿って重くなり、風が止むと、「そろそろ降ってくるかな?」という感じになる。そういう時は、庭のあちこちで、急にカエルが鳴き始め、「カエルは雨がわかっているんだなあ」と、いつも思ったものだ。
ところが最近、庭でカエルが鳴かない。あんなにたくさんいたのに、気がつけばいなくなったような気がする。なんでだろう。
先日、カエルは毎年同じ田んぼに卵を産むのだと聞いた。ウチの近所では、前の年までは田んぼだったところが、大豆畑になっているところが毎年増えている。カエルが減ったのは、そのせいなのだろうか。
春になって、冬眠から目が覚めて、「どっこらしょ」と現れたカエルの目の前に広がるのは、田んぼではなく、大豆畑だったら。そのカエルは、他のカエルの田んぼには行かず、産卵せずに終わるという。もし他の田んぼに産んだら、カエルが密集してしまい、皆が生存していけなくなることを、知っているのだと思う。
あたりまえのようにたくさんいて、うるさいくらいに鳴いていたカエルの声が聞こえなくなった梅雨。これは、「沈黙の春」ならぬ、「沈黙の梅雨」なのだろうか。
古代ギリシャの家
庭では紫陽花が花ざかりだ。梅雨空の下、色とりどり。

最近、古代ギリシャの家についての本を読んだ。。
古代ギリシャの都市国家では、住宅が公的な部分と私的な部分とに分かれていたという。公的な部分は公道から直接入ることができ、男たちが飲食をしながら議論をする政治的空間だった。その奥には私的な空間があり、女たちと奴隷の場所といわれていたそうだ。家という空間は、公的な場所と、私的な場所の両方があるものであった。それが、近代に入ると、家族のプライベートな部分を守るだけの空間になり、公的な空間はなくなっていく。その社会的な意味について、色々と語ってあった。家族のプライバシーと幸せが最大の関心事になり、政治的な関心は薄くなるのは、住宅のあり方が影響していることがあり、その住宅は、国家や、資本主義というものの意志が色濃く反映しているものという話であった。
古代ギリシャの住宅の話を読んだ時、似ている家を知っている気がした。私の母の実家だ。母の実家は、集落では大きい農家で、いつも大勢の人が出入りしていた。
家の前側は、客用と家族用に分かれた玄関、小さい和室、二部屋の広い座敷、縁側だった。ちょっとした打合せには入ってすぐの小さい和室を、正式な話や大勢集まっての話は座敷で行っていたようだ。
家族用の玄関から入る家の裏側は、台所、茶の間、寝間だった。
ギリシャの住宅のように、表側が公的空間、裏側が私的空間とはっきり分かれている。
家の表側は、庭ではあるが、集落の人々は、日常の行き来の道として使っており、ちょっとのぞいたり、立ち話をしたりしていたような気がする。つまり、庭も、公的空間だったのだ。
高校教師だった私の父は人を家に招くのが好きで、新任の先生が入ると必ず一緒に飲んで家に連れてきたし、教え子もよく遊びに来た。母が、実家の祖父に、「お客が多い」と愚痴をこぼしたら、祖父に、「いいか。人の来ない家はだめなんだぞ」と言われたらしい。
人が来る家、人が来ることができる空間のある家、その空間を無くすことで、私たちは何を無くしてしまったんだろう。
「たまちゃんず」プラス1 デイサービスで演奏

朝川会のボランティア演奏元祖の「たまちゃんず」に更に一名加わって、6月11日、五泉市のまおろしの里に演奏に行きました。
唄に三味線、お箏に、今回は締太鼓も加え、賑やかに。皆さんと楽しい時間を過ごさせていただきました。
今回初参加のOさん、次のボランティア演奏も参加です。
朝川会のボランティア演奏、ますます広がっています。
複素数は美しい
日照り続きだったが、先日、待望の雨。ほおずきの花が咲いている。

先日、何人かで話していたら、「数学嫌いだったでしょ?」と聞かれた。
三味線やっているし、文系出身だし、そう思われても無理もない。
ところが、私は数学は大好きだった。
父が高校の数学教師というせいもあるかもしれないが、子どもの頃、「数学パズル」というようなタイトルの本を買ってもらい、面白いなあと思って読んでいた。だから小さい時からの、数学好きである。
数学の授業で一番好きだったのは、公式の証明だ。なぜこの公式ができたのかという解説は、なぞとき物語のようで、とても面白かった。数式が美しく流れ、ひとつの答えが出る。答えが、すぱっとひとつでない国語よりも、面白いと思っていた。
ある日、複素数を学校で習った。今までの何よりも面白かった。二乗してマイナス1になるという数を想定してみると見えてくる世界は、本当にワクワクした。早速帰って父に報告した。
「今日、複素数を習ったよ。面白いねえ」すると、父は笑顔で答えた。「複素数か。あれは美しいだろう」
美しい。そうか、私がこれはすごい!と思ったことは、美しいということだったんだな。父はとても楽しそうに笑っていた。美しいということは、楽しいことなんだと思った。
今は、複素数という言葉は覚えているけれど、面白い!と思った解説の方は忘れてしまった。でも、「複素数は美しいだろう」と言った父の笑顔は、今でもはっきり覚えている。
面白いこと、美しいことを、楽しめる。その力は、あの日の父から、もらったのかもしれない。
第三回東京教室研鑽会 無事に終了!
梅雨入り直前の6月4日(土)、代々木能舞台で、第三回東京教室研鑽会を開催しました。
今回は、初の試みとして、フィナーレに踊りを発表。演奏にお囃子に、朝川会総出演。
踊りを始めたばかりでもう初舞台に挑戦の方も!友情出演で花を添えてくださった方のお力も借り、にぎやかに「かっぽれ」で盛り上がって終了しました。

今回も、初舞台の人、初めて笛を発表した人、弾き唄いに挑戦、合奏に挑戦と、いろんなことに挑戦した研鑽会でした。
うまくいった人も、悔しさが残る人も、皆、終演後は打ち上げで盛り上がりました。

次は、秋のお浚い会。10月8日(土)、場所は同じく代々木能舞台です。
お浚い会の曲も決め、お稽古も早速開始しています。
皆様、秋も頑張りましょう!
皆様、ぜひお越しくださいませ。お待ちしております。
山盛りの山
先日、久しぶりに温泉旅行に行った。新潟の魚沼市の山のひなびた温泉である。
最初は、街中を観光をしていて、緑が濃くなってきている田んぼや、広々と流れる川を見て楽しんでいた。
さあ、宿へということで、山へと向かう。
小さな町や集落を抜けながら、川沿いに進む。だんだんせまってくる山々。たくさんの種類の広葉樹が、盛り上がるように枝葉を広げ重なっている。こんなにもたくさんの緑という色があったのか。夏に向けてもりもりと重なっている木々たちの、成長するエネルギーに圧倒された。宿のまわりも、一面にいろんな草花が生えている。もちろん植えたものではない。大きな葉に大きな花を咲かせているもの、ひっそりと草の中で薄紫の小さな花を咲かせているもの、これでもかと尖った葉を広げて茂っているもの。どこもかしこも、生きるエネルギーでいっぱいだ。
夕食は、山菜や野菜が中心。どれもおいしい。ふと思う。
毎日、畑や庭の草取りをしているけど、山は草取りなんかしない。それでも、あんなにぐんぐんいろんなものが育っている。この山菜も肥料をやったり、草取りしたり、人間がお世話をしたわけではない。
なんだか不思議だ。毎日、畑や庭の草取りをしたり、水をやったりして、自然と仲良くやっていたつもりだったが、あれは、自然と人間が接触している領域での、ほんの小さなかたちで、実は自然そのものは、自分たちで、こんなにも力強く、生きているんだなあ。
その力に、山でまさに圧倒された。
いやまて、人間だって、私だって、自然の一部だよね。これは、自分と身体の関係にもいえるのかもしれない。
私は、自分の身体に対して、草取りや、肥料をやりすぎていたりしないだろうか?私の体は、畑じゃなくて、山、みたいにしなくちゃいけないのかもしれない。
もしかしたら、これは、社会にも言えるかもしれない。
自分のまわりで、雑草を抜いたり、虫を殺したり、肥料をやったりしすぎていないだろうか。
翌日はロープーウェイで山へ。雲の隙間からちらりと田んぼが見えた。

くまんばち
裏庭のジギタリスにクマンバチが来ていた。段々に縦につながってたくさん咲いている花を、あっち、こっちと順番に潜っては、蜜を吸っていた。
大きくて羽音が大きいので、クマンバチがいるのは、すぐに気がつく。身体がふわふわした毛で覆われているので、クマンバチというのだろうか。さぞかし、花粉もたくさんつくだろう。
私は、結構虫好きである。蝶、蜂、トンボ、鈴虫やコオロギなど、決まった季節に、決まった虫たちが、せっせと働いているのを見るのが、とても楽しいのだ。
ズッキーニの花には、いつも同じ、ちいさな虫が入っている。真夏のゴーヤの棚は、小さな蜂がたくさん飛び交ってうるさいくらいだ。マツバボタンにも蜂がたくさんくる。
虫たちは、日が昇ると、せっせと働き、せっせと食べている。
庭や畑には、自分たちが植えたものや、自然に生えているものなど、沢山の植物がある。それぞれが大きくなり、花を咲かせ、それぞれにあった虫が来ている。姿がかわいいものもあれば、ちょっと気持ち悪いのもある。
皆、せっせと食べて、生きている。そして、季節が変わると、他の虫たちに入れ変わる。
クマンバチは、花粉がつきやすいように身体に毛があるのだろうか?それは、蜜をもらった恩返しなのか?いやいや、来年も再来年も蜜が食べられるように、受粉の手伝いをしているのだろうか?
どっちだろう?たぶんどっちもだ。
ジギタリスの花は細長い。蜜を吸っているクマンバチはお尻しか見えない。これもまたかわいい。






