古代ギリシャの家

庭では紫陽花が花ざかりだ。梅雨空の下、色とりどり。

最近、古代ギリシャの家についての本を読んだ。。
古代ギリシャの都市国家では、住宅が公的な部分と私的な部分とに分かれていたという。公的な部分は公道から直接入ることができ、男たちが飲食をしながら議論をする政治的空間だった。その奥には私的な空間があり、女たちと奴隷の場所といわれていたそうだ。家という空間は、公的な場所と、私的な場所の両方があるものであった。それが、近代に入ると、家族のプライベートな部分を守るだけの空間になり、公的な空間はなくなっていく。その社会的な意味について、色々と語ってあった。家族のプライバシーと幸せが最大の関心事になり、政治的な関心は薄くなるのは、住宅のあり方が影響していることがあり、その住宅は、国家や、資本主義というものの意志が色濃く反映しているものという話であった。
古代ギリシャの住宅の話を読んだ時、似ている家を知っている気がした。私の母の実家だ。母の実家は、集落では大きい農家で、いつも大勢の人が出入りしていた。
家の前側は、客用と家族用に分かれた玄関、小さい和室、二部屋の広い座敷、縁側だった。ちょっとした打合せには入ってすぐの小さい和室を、正式な話や大勢集まっての話は座敷で行っていたようだ。
家族用の玄関から入る家の裏側は、台所、茶の間、寝間だった。
ギリシャの住宅のように、表側が公的空間、裏側が私的空間とはっきり分かれている。
家の表側は、庭ではあるが、集落の人々は、日常の行き来の道として使っており、ちょっとのぞいたり、立ち話をしたりしていたような気がする。つまり、庭も、公的空間だったのだ。
高校教師だった私の父は人を家に招くのが好きで、新任の先生が入ると必ず一緒に飲んで家に連れてきたし、教え子もよく遊びに来た。母が、実家の祖父に、「お客が多い」と愚痴をこぼしたら、祖父に、「いいか。人の来ない家はだめなんだぞ」と言われたらしい。
人が来る家、人が来ることができる空間のある家、その空間を無くすことで、私たちは何を無くしてしまったんだろう。

2016-07-03 | Posted in つれづれ, ブログComments Closed 

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