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春祭り

庭の椿を生けた。春は着実に来ている。

私の住んでいる集落にはお宮があり、春と夏にお祭りがある。
春祭りは、今年の豊作を願うものだ。村の役員が神主さんとお参りをする。
子どもの頃は、縁日が出たり、盆踊りがあったりと賑やかな夏のお祭りの方が好きだった。でも、さあ春だ、これから農作業だとワクワクする季節に、今年も豊作をお願いしますと、静かにお祈りするのも、いいかなと思う。
ふと、考えた。なんという言葉でお祈りするのだろうか。たぶん、「今年もお天気に恵まれて、豊作になりますように」だろう。「豊作」のイメージは、今までで一番よく採れた年位の収穫だと思う。一反からとれるお米は、毎年右肩上がりで増えるということは無い。
会社では、毎年、前年度何%アップなどという目標が掲げられる。それが当たり前だ。でも、お米は、「我が家の今期の計画は、前年度何%アップです。神様よろしくお願いします」と、お祈りしている言葉は、なんだかそぐわない。
「いつものように、自然の恵をお願いします。」という言葉の方が、しっくりくる気がする。
私の友人の農家さんは、「太陽と雨と土が作っているんです。私はそのお手伝いだけです」と言っていた。
太陽は朝出て、夜沈む。雨は、いつものように降る。土は、汚されたり、壊されたりしない。それが、今日も、明日も、続くと思えば、必要以上に貯め込む必要もないし、右肩上がりでなくても良い。
今、あるものが、いつまでも同じように回ってくる。こんな豊かなことがあるだろうか。
春祭りは、「いつものように回ってきますように」と祈っているのだと思う。

2016-03-15 | Posted in ブログ, 自然No Comments » 

 

生まれたての雲


今日は、雨模様。春の雨は、やわらかく、田んぼや山は、うすぼんやりと湿り気に包まれている。移動中の新幹線から山の方を見ると、山肌から何本も白い靄が立ち上っている。
「あ、雲が生まれている」
次から次へと、行く手の山々にも、靄が湧いている。
「あの雲の水蒸気は、もしかしたら、昔、私の体の中にいたことのある水かもしれない」
ふと、そんな気がした。
「あの雲は、わたしだ」
なんの不思議もなく確信した。そして、次から次へと生まれてくる雲を見ていた。
あの雲は、やがて、雨になり、いつかまた私に帰ってくることが、あるのかもしれない。
その日まで、またね。

2016-03-14 | Posted in ブログ, 自然No Comments » 

 

はみ出した心と和室

「あ、今日から春が来た!」と、思う瞬間がある。
ある日の小学校の帰り道、降り注ぐ日差しに、積もった雪が溶け始め、あちこちで焦げ茶色の土が顔を出していた。そして、そこから立ち上る暖かい湿り気を帯びた土の匂いを嗅いだ時、「あ、今日から春が来た!」と思った。
またある日は、つららの先からぽたぽた落ちる水滴の光が、その日から、暖かな光に変わっていたことに気づいた。その時も、「今日から春だ!」と思った。
先日も、二階の窓からの景色が、「おや、春が来ているぞ」という感じになっていた。こうなると、どうにも浮き浮きして、室内でじっとしていられなくなる。しかし、その日は、春の空気を楽しみながらお散歩するほどの時間は、残念ながら無かった。しかし、私の気持ちは、春を感じたくて、もう家の中からはみ出してしまっている。
そういう時は、二階の洋間には、いられなくなる。そして、私は一階の座敷へ降りる。そこは、南向きに縁側があり、外の景色は丸見えだ。畳に座れば目線が下になり、外とつながっているかのような気分になれる。心が自然の中にはみ出してしまっているような時、和室は実に心地が良い。洋室はどうしても外から囲うもの、和室は外とつながるもの、特に縁側はあいまいな空間だ。縁側と和室は、外にはみ出した心にちょうどいい。
私は日本家屋好きだ。
それは、空想がちで、いつも心がはみ出していた子だったからしれない。

2016-03-10 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

一番始めの言葉

人間が一番始めに発した言葉は、なんだったろうと思う。
私が思うに、何か美しいものを見つけた時、他の人にも教えたい、そして一緒に美しいと思いたいから発した声が、言葉になったのじゃないのかと思う。
太古の森の奥で咲く花、森を抜けた先に広がる海に沈む夕日。
美しいものを見つけた!教えなくちゃ。
急いで帰って仲間を誘う。「あっちにきれいなものがあるよ」。その誘うための声が、言葉になったのではないだろうか。
でも、食べ物を持っている仲間に、「よこせ」という声を発したのが、最初の言葉だったらどうだろう。
「あっちにきれいなものがあるよ」と呼びかける声は、与える、ということだ。
「よこせ」というのは、奪うということだ。
一緒に食べたものと、奪って食べたものと、どっちが美味しいだろうか。

2016-03-06 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

勤め人にはなりたくない

春が来た。庭の片隅に、福寿草の花が咲いていた。

私の集落は、子供の頃は、ほとんどが農家だった。その農家のおじさんたちが、よく言っていた言葉に、「勤め人にはなりたくない」というものだった。
子供心に、私は不思議だった。私の父は高校教師だった。毎日学校へ通う勤め人である。それを私は、特になんとも思っていなかったので、それがなりたくない職業だとは、なんでだろうと思っていた。小学校の頃は、冬は結構出稼ぎに行く人が多かった。文集も、出稼ぎに行く作文が多かった。「お父さんが冬もいていいな」と友だちには言われていた。でも、その子のお父さんたちは、「勤め人にはなりたくない」と言う。
この長年の不思議が、消えたのはつい最近だ。
幕末の日本を訪れた外国人たちの見た日本をまとめている「逝きし世の面影」の中に見える日本人の陽気さ、満足感、幸福感について、田中優子は、「江戸時代の人に現代人が学ぶべきもの」として、「「正々堂々と異議を唱える」姿勢」と書いている。
そうだ、これなのだ。近所の寄り合いなどで、正々堂々と政治や社会について意見を述べ合っていた大人たちを覚えている。いつも田んぼや庭先で仕事をしていた姿しか知らなかったから、びっくりしたものだ。
自分たちの食べ物は自分たちで作っている、冠婚葬祭も自分たちだけでできる、小屋や家だって自分たちで作れる人たちなのだ。集落の行事も自分たちで行うし、年齢別、性別の組織もあって、お互いに気配り目配りしあっている。自分たちの足で立って生活している。誰の顔色も伺わなくて良い。こんな安心感があるだろうか。
「勤め人」になれば、自分たちの手にしているものが、何か欠けてしまうのだ。
今は兼業農家がほとんどになってしまったけれど、集落には、まだまだ「正々堂々」としている人生の先輩はいる。その安定感のある姿、言動に、時々私はこっそり見惚れているのだ。

2016-03-05 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

さくら色の月

ようやく庭の雪が消えてきた。庭の隅には、フキノトウが出始めた。
待ちに待った山菜。これが始まれば、後は、ぐんぐん植物が育ち出す。

先日、カルチャーセンターのお稽古で、午後からずっとAEONの中にいた。
夕方、ちょっと駐車場へと外に出たところ、遠くに丸い光るものが。「あれ、あんなところに灯りがあったっけ?」
よく見たら、それは登り始めた満月のお月様だった。
その日の月は、なんと薄いさくら色。まだ真っ暗になる前の青く暗く沈んだ空に、ぽっかりと浮かんでいた。
「きれいだなあ」。足を止め、しばし見とれた。
用事をすませて屋内に戻ったのだが、どうにも気になって、また外に出て見てみた。
先ほどよりも少し高いところまで登ったお月様は、少し赤みが増して、今度はバラ色になっていた。更に暗くなった空に浮かんだバラ色の月は、ちょっと大人びた感じで、これまた、きれいだった。
お月様は、だいたい黄色か白だ。さくら色の月は、始めてみた。
いつも自然は、ふとした時に、とても美しいものを見せてくれる。
今日から3月。よい春が来そう。

2016-03-01 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

りんごの害虫


無農薬でりんごを作っている木村秋則さんの本で、とても印象に残っている話がある。
木の幹に産み付けられる害虫の卵は、だいたい直径5ミリの塊で、その一つの塊に50個の卵が並んでいる。その卵の塊から10センチくらい離れたところに別の卵が二個産んである。これが害虫を食べるてんとう虫の卵。害虫が孵化するのを益虫が待っているということ。ところが、害虫は、まず半分が先に孵化する。そして、それらが1センチ位の大きさに育った頃、残りの半分が孵化する。てんとう虫はそのタイミングで孵化する。てんとう虫は、後から孵った半分の害虫を食べて育つ。
これにはびっくりした。
自分たちが生き延びたければ、全部が先に孵化すればいいではないか。
自然界は弱肉強食、生き延びるのは競争であれば、なるべく食べられないようにするのが、進化なのではないだろうか。これではまるで、食べられるために生まれてきたようなものだ。
でも、進化の結果がこうだということは、弱肉強食ということが進化だと思っていること自体が、ちょいと違っているのかもしれない。自然界では一番強いものが一人勝ち、ではなく、皆が持ちつ持たれつで、一緒に生存、繁栄しているということが、進化したということではないだろうか。
確かに、強いものが残るのであれば、もっと、生き物の種類は少ないはずだ。でも、ウチの畑にいる虫だけだって、相当の種類がいる。それに鳥、両生類と考えていくと、もっともっと沢山だ。
江戸時代は、同じ町内では、銭湯がお互いに時間をずらして営業していたらしい。
自由な競争というのは、はたして進化なのだろうか。

2016-02-22 | Posted in ブログ, 自然No Comments » 

 

こういう時は

去年買ったボケの鉢に、知らない間につぼみがついていた。今年も咲くとは思っていなかったので、単純にただただうれしい。春が近づいているようだ。

中学校の時、一つ年上のK子ちゃんと私と弟で、札幌の親類の家まで旅行をした。
新津駅から青森行の特急に乗った。いきなり、私たちの指定席に人が座っている。困った私たちを、同じボックスに座っていた大学生のお兄さんが色々と面倒を見てくれた。先に座っている人たちが間違えていたとわかり、それから青森までは、お兄さんと話しながら行った。青函連絡船への乗り換えも、青函連絡船から特急に乗り換えるのも、全部お兄さんがついてきてくれた。お兄さんとは、青森駅でお別れだった。
K子ちゃんは言った。「こういう時は、お礼をしなければいけない」。しかし、わたしたちには、お礼に渡せるものは何も無かった。「札幌に持っていく予定のお土産のお菓子を、お兄さんに渡す」とK子ちゃんが決めた。親の言いつけに背くなんてとびっくりしている私に、「そうした方が良い。大丈夫だ」とK子ちゃんは宣言した。「いいんだろうか」と迷ったが、その決定に従った。
お兄さんとお別れするときに、K子ちゃんは、「ありがとうございました」とお菓子を渡した。お兄さんは、断ったが、どうしても、と、無理やり渡したような記憶がある。
札幌行きの特急に乗れば、後は座っているだけだ。幼馴染は、「食堂車に行ってみよう」と私を誘った。地平線が見えそうなほど平らな大地を見ながら、コーンスープを飲んだ。
お兄さんは、元気だろうか。ありがとう、お兄さん。

2016-02-18 | Posted in こども, ブログNo Comments » 

 

ザトウクジラの歌

ザトウクジラは、歌を歌うのだという。遠く離れていても、一緒に歌うのだという。そして、毎年、違う歌が流行るのだという。
ふと、妄想した。
人体は 小宇宙だという。だとしたら、わたしの身体は 地球と同じだ。
わたしの身体一個で、地球一個と同じだ。
地球の海で、クジラが歌うということは、わたしの身体の海では、細胞が歌うのだろうか。
離れた細胞同士も、お互いの歌が聞こえていて、一緒に歌っているのではないだろうか。
子どもの頃は子どもの歌を、思春期には思春期の歌を、老年には老年の歌を、
あちらこちらで歌っていて、それは 広がって、伝わっているのではないか。
だとしたら、
わたしの身体は、いつでも歌で、いっぱいだ。

2016-02-11 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

散歩の時ふと


三味線を始めようと思った、その理由は皆さん色々だ。日常的にある楽器ではないので、何かのきっかけで出会ったりもする。かくいう私も、三味線に出会ったのは、偶然だ。
こんな風に三味線を始めました、というあるお弟子さんの話。

ジャズのサックスを趣味で習っていたんです。ライブに通ったり、ライブハウスで演奏したりと、結構のめり込んでいたんですよ。でも、ある日、ふと思ったんです。「ジャズをやっているけど、本当は、背伸びして、無理してるんじゃないか?」と。そしたら、「もうジャズはいいや」となってしまって、ではどうする、と。その時、頭に浮かんだのが三味線だったんです。地元の商店街を歩いている時でした。「そうだ、三味線だ!」と。その足で、三味線屋さんに行きました。とにかく、まず楽器を手に入れるんだと。でも、三味線屋さんって、なんだか敷居が高いですよね。がらって、入ったら、「なんだろう、この人は?」って感じで見られて、「三味線ください」って言っても、「へ?」という感じでした。「長唄ですか?太棹ですか?」って言われたってわかりませんよ。「ええっと、三味線がやりたいんですけど」と言ったら、「まあ、たぶんこれかな」と細棹の三味線を売ってくれました。
楽器を手に入れてからが、大変でした。次は、習いに行く場所だ!と、ここはどう?と教えてもらったところへ何箇所も行ったんですが、なんだかお金がかかりそうだったり、堅苦しそうだったり、なんとなくここだというところが無くて、最後に、ここならと紹介されたところに行ったら、「今日から母は入院します」と言われ。さすがにその時は、がっくりしました。もう三味線とは縁がないんだ、と教室を探すのを諦め、2年くらいは、三味線はただのインテリアでした。
でも、諦めきれずに、事あるごとに、「どこかに三味線を教えてくれるとこはないかな」、と聞いていたんですよ。その内、とある店で、「ここで今度ライブやるけど、聞きに来る?」と言われて、出会ったのが、朝川師匠でした。今度こそ、と思って、ライブの後に、「教えてください!」とお願いしました。三味線を始めるまでは、時間がかかりましたが、今は、とっても楽しくやっています。ついに三味線もインテリアから楽器になりました!

2016-02-11 | Posted in ブログ, 朝川会No Comments » 

 

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