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忘れてしまってはいけなかったこと

母に言わせると、私は子供の頃、夢見がちというか、ちょっと不思議なところがあったらしい。
花壇の脇にしゃがんで、じっと花を見つめて動かないことがよくあったそうだ。
何をやってんのかなあと思っていたらしい。
その、何をやってんのかなあと思われていた時、何をやっていたかは、実は覚えている。
いくつの頃か忘れたが、私は、「なんで皆こんな大切なことを、大人になると忘れてしまうんだろう。私は絶対忘れないようにしよう」と心に誓っていた。そして、時々、確かめていた。
その時は、花壇の脇にしゃがんで、じっと下を見るようなポーズだった記憶がある。
花を見ていたのではない。何か自分の腹の底というか、そのずっと下というか、そんな感じなのだが、そこに意識を持っていくと、何か忘れてはいけないことが、確認できるのだ。そして私は、「うん、まだ覚えている。大丈夫」と思ったものだ。
いつの頃からか、何を「絶対に忘れないようにしよう」と思ったかを、忘れてしまった。知識が増えたからか、人間関係が広がったからか、文字を覚えたからか、理由は分からない。
それから何十年。時折、私は思い出す。「いったい何を忘れないようにと思っていたんだろう」
それは、ずっと続く私の疑問だ。なんだか抜けない刺がのどにささっているようで、小さいながらも、チリチリと時々、存在をアピールしてくる。
下を見て、なにかを確認して、「うん、大丈夫。まだ覚えている」と頷いたのだ。
いつもは気にしていないことなのだ。でも、確認するとわかる大事なことなのだ。それは覚えている。でもいったいそれはなんだったのか。
今、下を見ても、何もわからない。いつか思い出す日がくるのだろうか。
それとも、忘れてしまってもよかったことなのか。

2015-10-13 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

柿食えば

先日も、栗農家の川瀬さんのお宅へ、栗拾いの手伝いに行った。今度は、朝川会新潟教室だけでなく、東京教室のメンバーも一緒だ。親子で参加、始発で来て日帰りなど、皆、意気込みは満々だ。
ちょうど収穫のピークと重なり、拾っても拾っても次から次へと、栗は落ちている。
ようやく拾い終わったかなと思うと、後ろの方で、ドスンと栗の落ちる音がする。
いやはや本当にすごかった。それでも、全員で頑張って、15時頃過ぎにはなんとか拾い終わった。
収穫作業後は、美味しいスイーツで一服。目の前の庭には、さわやかな秋風に吹かれて、秋明菊がきれいに咲いている。
その隣には、ちょうど食べごろの柿の木。
「美味しそう。甘柿ですか?」皆の注目に、川瀬さんが、
「食べますか?ちょうどいい頃と思います」と外に出て、大きな脚立を持ってきた。

柿の木の下に脚立を立てて、軽々と登り、どんどんと柿の実をもいで渡してくれる。
早速皆でがぶり。美味しい!
外は秋晴れ、風は爽やか、目の前には赤い実をたくさんつけた柿の木と川瀬さん、柿を食べる私たち。
んん、なんだか不思議な感じがした。
この土地で大きくなった柿の木が、目の前で実をつけていて、それをここで育った川瀬さんが、もいで私たちに渡してくれ、それを私たちが食べている。
私たちの立っている地面の上の小さな空間で、命が回った気がした。
食べ終わったヘタを柿の木の下に埋めれば、土に帰って、本当に一周することになる。
目の前での柿の命の一回転。
どこかでとれた果物を食べて、その皮がどこかの埋立地に埋められて、土に帰っていくのも、大きく見れば、命は回っているのかもしれない。
でも、今ここで、目の前で、小さくくるっと命が回ったのだ。
なんだかいいなあ。

今は、回っているのは、命というより、お金のような気がする。お金で買われ、商品になってしまうと、命という実感が薄くなるのかもしれない。
もっとも、命も商品化され、お金のように回っていく、そんなことも起こるかもしれないが。
目の前で、くるっと回った命。
改めて柿の木に、「美味しかった。ありがとう!」
(川瀬さんの写真は一緒に栗拾いに行ったEちゃん撮影。ありがとう!)

2015-10-10 | Posted in ブログ, 自然No Comments » 

 

大きいものは

隣の家は、ざくろが大豊作だ。

先日、浅草へ行った。お気に入りの大衆食堂で、何人かで軽く一杯飲みながらの食事の帰り道、ふと目の前に、ライトアップされたスカイツリーが見えた。
「こう見ると、あんまり大きい感じがしないですよね」と連れが言う。
確かに、建物の間から見えるスカイツリーは、距離感も大きさも、よくわからない感じもする。
「でも、高尾山と同じ位なんですよね」と皆でながめた。
高尾山。私が以前山登りをやっていた時、休日によくトレーニングに行った。あの頃は体力があったので、高尾山口駅からノンストップで45分位で頂上についた。その高さに、エレベーターであっという間に着く。不思議な感じだ。
山に登る時は、登山口ではるか山頂を見上げ、「どのくらいであそこまでいけるのかなあ」と思ったものだ。山は大きく、森林は深く、花や草が無数に茂り、沢の音が聞こえ、いろんな鳥が鳴いていた。沢山の知らないもの、大きなものに囲まれている感じがした。
子供の頃だって、田んぼや川や山や、人間よりは大きなものに囲まれていた。
「大きなもの」は、「自然のもの」だった。
今、東京を歩いていると、山は見えない、川もほとんど見ない。あっても両岸をコンクリートで覆われたおとなしい川だ。木も、庭か街路樹だ。
大きなものといえば、人間が作ったものだ。高層ビル、競技場、高尾山と同じくらいの高さのスカイツリーもだ。
大きなものは、すごいもの、そしてそれを作りだしたものは、すごいもの、と単純に子供の頃は考えていたから、自然はすごいなと思っていた。
目の前にある大きなものが、人間の作ったものばかりとなれば、それを作った人間がすごいもの、と単純に刷り込まれるのだろうか。
「すごいもの」、になりたくて、「大きなもの」を作るのだろうか。

2015-10-06 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

父と薬

実りの秋だ。いたるところで果実が実っている。
柿が赤くなると医者が青くなると言う。

父は寄る年波と共に、服用する薬の種類も量も増えていった。それにつれて症状が良くなるというよりは、悪くなっていくような気もしていた。年をとっていくのだから、しかたがないといえばそれまでだが、何より本人が、薬を飲むのをいやがっていた。
ある時を境に父は薬を止めた。
しばらくして、父の顔色が良くなっていることに気がついた。手の指がいつも青黒く爪の色も悪かったのだが、いい色になっている。あれえ、と思って触ったら、暖かい。子供の頃から、父は手足の先が冷えていて、夏でも靴下をかかさない人だったのに、意外だった。
血の巡りがよくなっているのは、よかったなと思った。
先日、なんだか父がいつもよりスタスタ歩いていると思って、何気なく足を触ると、外反母趾がかなり改善されていた。
だから楽に歩けるようになったんだと納得。
薬を止めたからなのか、他の原因なのかはわからない。
でも、外反母趾が改善したのは事実だ。よかった。
薬が大好きな人は多い。「あの医者は薬を出してくれない」と不満をいっていたおばさんもいた。「たくさんあるから少しあげる。これ効くよ」と人にあげている人もいる。
「酒と女は気の薬さ」という小唄の文句があったが、そんな薬もあるか。
とにかく父は薬を止めた。
それから、特に何が悪化するでもなく、血圧も特に問題もなく、今日にいたっている。
とりあえずよかった。

2015-10-03 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

うさぎの谷

私は地名が好きだ。地名を見ていると、いろんなお話が湧いてくる。どんなところだったんだろう。どんなことがあったんだろう。妄想は尽きない。
私の母の実家の方は、里山に縄文時代の遺跡もあり、昔から人が住んでいたところらしい。麓のあたりまでは海だった。程島、東島、西島などという地名がそれを物語っている。その間に、中村という地名がある。なぜ、ここは島がつかないのかと思っていたら、ここら辺は中洲だったと、昔話にあった。なるほど。
母の家のあたりは、山が近いので、谷がつく地名が多くある。塩谷、欅谷、椿谷、兎谷、みんなそれぞれに美しく、想像をかきたてる。
中でも兎谷は、ぴょうぴょんと兎が遊んでいるようで、なんともかわいい。

しかし、その兎谷は、もう谷ではない。
高速道路を作る時だったと思うが、そのあたりの山が全部崩され、道路の盛土に使われてしまったのだ。兎谷を抜ける道を以前通った時は、だだっぴろい赤土色の地面が広がっていて、周りには、削り取られた赤土色の断面がむき出しになった、山とはもはや言えないような、土の塊がわずかにあるばかりだった。
「このあたりは雑木林で、紅葉が真っ赤で、本当にきれいだったんだよ。毎年見るのが楽しみだったんだよ」と母は言っていた。今の姿を見るのが悲しくて、この道は通りたくないと言っていた。
私もなんだか見るに忍びなく、しばらく通っていなかった。
先日、たまたま通りかかった。土色の地面は無く、一面草で覆われていた。自然の回復力はすごい。もしかしたら兎はいるのかもしれない。
けれど、山は二度ともどらない。兎は戻っても、山は戻らないのだ。
高速道路は確かに便利だが、あの土はどこかから持ってくるしかないものだ。それは、山を崩して持ってきていたのだ。日本全国に広がる数多くの道路、その量だけ、山は削られている。
きっと数多くの、山と谷が消え、地名だけになっていることだろう。
今では原となった兎谷。月夜の晩は、兎が皆で踊るだろうか。

2015-10-01 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

スーパームーン

昨日、新潟は日中秋晴れだったが、夕方から雲が広がった。今日は月が見られないのかな、と思っていたが、9時頃から雲が切れ、美しい満月が見えてきた。
家族を誘って庭に出てみる。
漆黒の空に白い月。明るい。自分の影が、くっきりと庭に伸びている。
「影踏みができそうだね」母に声をかける。
影踏みなんて、今時もう誰もやらないかもしれないが、「ほらほら」と母の影を、庭を歩きながら踏んでみる。
庭を見ると不思議だ。草花の花の色まで、わかる。顔の表情だって、もちろんわかる。以前、部分日食の時に、昼なのに薄暗がりになり、色彩が薄れたような明るいような、不思議な光景だと思ったが、それにちょっと近い。
盆踊りは15日。昔は太陰暦だったから、満月の日にやったのだ。
このくらい明るかったら、お互いの顔もよく見えるし、夜通し踊っても問題ない。
江戸時代は、太陰暦だった。明治になってから、太陽暦に替わった。替わってからも、農業従事者からは、太陰暦が必要との声が強く、しばらく並行して使用されていたと聞いたことがある。その理由を私はよく分かっていなかった。
たまたまある雑誌で、その理由が分かった。植物は月の満ち欠けに従って育っているのだそうだ。たとえば、タネは、月の引力や月光の強弱に影響を受け、満月までにタネをまくと、発芽にもその後の成長にも良いそうだ。月の満ち欠けで変化する植物の水分量に合わせて、苗を植える時期とか収穫の時期なども決めていたのだそうだ。
そんなこと、全然知らなかった。
なんだか、すごく大事なことを忘れているのだなと思った。
きっと私たちは、こういうことを捨ててきたのだ。
野菜は、土と太陽と水が作ると思っていたが、土と太陽と月と水が作るんだ。
満月の光が土の中のタネに差し込む、そして、芽吹く。
タネの目覚めは、朝ではなく夜なのだ。

2015-09-29 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

びっくり、どっさり

お米と栗の生産をしている知り合いの農家さん川瀬さんのお宅へ、今年も栗拾いのお手伝いに行った。

いつもは、稲刈りが終ってから栗拾いのシーズンになるのだが、今年は、9月の長雨で稲刈りが遅れ、夏の日照りで栗が早く落ち始めたのとで作業が重なってしまい、川瀬家では、てんてこ舞いだ。連休の最初に弟が手伝いに行ったのだが、「誰かが撒いたの?っていうくらい、一杯落ちているよ」とのこと。しかも、一人は稲刈り、おばあちゃんは負傷により戦線脱落と、かなり戦力不足らしい。
これは一大事!と、お弟子さんにも声をかけ、栗拾いの手伝いに馳せ参じた。

栗の林に入ってすぐ、すでに道に相当落ちている。これはすごいぞ!気を引き締め、皆散らばって栗拾いスタート。あるある、たっくさん落ちている。いつもは、カゴを片手に、歩きながら拾うのだが、今回はあまりにもたくさん落ちているので、カゴをおいて、両手で拾っては入れていた。一本の木の周りにたくさん落ちているので、中々次の木に進めない。カゴが一杯になって、道路際のコンテナに入れにいくのだが、またこの場所に戻ってこられるように、よくよく確認しながら、道路まで戻る。しかし、戻っていく途中で、また沢山の栗が落ちているので、それを拾っているうちに、どこまで拾ったか、わからなくなってしまう始末だ。
栗は、落ちるとすぐに虫がつく。子供の頃、庭に栗の木があったが、時々小さい虫が入っていたのを覚えている。だから、すぐに拾わなければいけないのだ。たまにイガを開けると、中から黒い虫が慌てて出てくることがある。「勝った!虫にまだやられてない!」栗拾いは、虫との競争でもある。

栗は拾ってから、洗い、拭いて乾かしてから、虫食いなどを選別して外す。それから、燻蒸へ持っていくのだ。「昨日は出荷300キロでした」と、さらっと言う川瀬さんだが、300キロの栗って、どんだけなんだろう、すごい。
お昼ごはんは、おばあちゃん手作りの野菜料理オンパレード。インゲンの胡麻和え、かぼちゃの煮つけ、レンコンの胡麻酢合え、蕨とショウガと野菜のお浸し、南瓜と茄子と万願寺唐辛子の揚げ浸し、茗荷の甘酢漬け、それに絶品の川瀬夫人の鳥の唐揚げである。皆おいし~い。食欲が止まらない!

午後にもう一働きして、お八つは川瀬家の栗ジャムとアイスクリームに、おばあちゃんの稲荷寿司。おいしかった~。
栗はこれからがピークだという。本当は毎日でもお手伝いに行きたいのだが、時間が許さず残念だ。
帰りにお土産にいただいた新米を、さっそくいただいたが、とってもおいしかった!
筋子にたらこで、何杯でも食べられそうでこわい。白いご飯がおいしいと、本当におかずはたくさんいらない。梅干し、塩鮭、納豆、漬物あたりで、どんどんいけてしまう。海苔もほしいな。
私が最後の晩餐は何?と聞かれたら、白いご飯に塩引き鮭と答えは決まっている。
しかし、最後の晩餐には、まだ早い。まずは川瀬家のおいしい栗で、栗ご飯を堪能しよう。

おすすめします。川瀬さんの栗
◆マロンファーム
新潟県五泉市(旧村松)
電話番号:0250-58-4363(川瀬さん宅)

ビッグな3Lサイズは、びっくりの大きさ!

2015-09-28 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

夕顔がやってきた

以前ブログで夕顔の事を書いた。
どんなものなんだろう、見たことないし、美味しいのかな?
そんな話をお稽古の時に、夕顔の話を教えてくれたIさんとしていた。
そうしたら、今月のお稽古の時に、夕顔を持ってきてくれたのだ。
家に帰って見てみて、びっくり!大きい~。両手でやっとかかえる位だ。

きれいな薄緑色。
どんな味なんだろう~。料理好きの弟が、卵あんかけを作ってくれた。
う~~ん、まずきれい。透き通った実に、溶き卵のあんがかかっていて、やさしそうな姿だ。味は?まず一口。歯ごたえを残しながら、とろっとした感じで、食べごたえもある。なんともおいしい。
それから、お汁の実、がんもどきとの煮物、そぼろあんかけ等、いろいろ作った。あんなに大きいから食べ切れるかと思ったのに、あっという間にあと少し。
なんだか病みつきになりそう。
蒸して、わさび醤油で刺身風に食べるのもおいしいとか。
もしかしたら、蒸してから、黒蜜とかかけてデザートになるのではと思っている。
母は、「これ本当に大きいね。そういえば、子供のころ、野菜か何かの半分に切った殻のようなものに、炭を入れて、運んだりするのに使っていた。なんだったんだろう、これかな?」などと言っていた。そうなのかもしれない。食べる以外にも、何かと役に立つ野菜だ。そういえば、ひょうたんなんかも使っていたなあ。なつかしい。あれにお酒をいれて飲んだら、おいしそうだ。手で毎日なでるといい色になるとか言ってたっけ。
来年、夕顔を植えたら、「茄子と南瓜」の唄そのものの世界になっちゃう、と思って、母に提案してみたが、「こんなに大きいのが、ごろごろできたら、大変~~」と今ひとつ乗り気でない。残念。
でも、来年もぜひ食べたい!来年は、絶対クジラ汁を作ろう。夏の味覚がまた一つ増えた。

2015-09-26 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

母校の文化祭に出演

9月19日(土)、我が母校、新潟県立新津高校の文化祭「秋陵祭」に出演した。お弟子さんで、新津高校卒業生のたま吉さんも一緒に出演。

まずは体育館のステージで15分の演奏。たま吉さんにはお箏、鉦で合奏してもらう。私は高校時代にロックバンドを下級生の男子とやっており、このステージに上がるのは、うん十年ぶりだ。なつかしい。あの頃、まさか着物に三味線で、もう一回このステージにあがることがあるとは、思ってもみなかった。面白いものだ。
午後からは、会場を和室に移し、邦楽鑑賞、邦楽器体験を行う。

演奏は、三味線とお箏で端唄を。邦楽器は、三味線、締太鼓、小鼓、篠笛、鉦等、体験してもらった。学校関係者、来場者、在校生が訪れてくれ、「聞いてみたい」「邦楽器を見てみたい」「触ってみたい」など、大人から小さいお子さんまで、それぞれの興味にそって楽しんでいただいた。
同じ会場では、茶道部がお茶席を設けており、私の担任の先生が指導をしていた。そちらにもお邪魔し、おいしいお茶をいただいた。高校生の皆さんの立ち居振る舞いが、とても美しく、いたく感心した。
時間がなくて、他の展示は見られなかったが、久しぶりに高校生に戻った気分だった。
高校時代、生徒会、ロックバンド、クラスの企画の掛け持ちで、文化祭はてんてこ舞いだった。3年の時のクラスの出し物は、演劇と歌謡ショー。演劇は「源氏桃太郎」というタイトルで私の脚本。光源氏と藤壺の間に生まれた不義の子を、桃に入れて川に流したのが桃太郎だったというストーリーで、ピンクレディの踊り付きの唄などいれて、ちょっとミュージカル仕立て。今思えば、黄表紙チックでもある。歌謡ショーでは、私は石川さゆりの物まねをやった。
体育館は、クラブの発表よりも、個人的な発表が多く、落語、フォーク、ロック、にわか作りの劇団など、なんでもありで、やりたい人が大勢いて盛り沢山だった。それを生徒会でしきっていた。
今思えば高校生活は自由だったなあ。先生と生徒も近かったし、男女の差別も感じたことは無かった。大学はもっと自由かと思ったら、結構型にはまった人も多く、年功序列的な発想が強い人や、「女なんて」という男尊女卑的な発言をする男性も結構いたし、大企業志向で就職活動にしのぎを削ったりと、社会人一歩手前の、現実社会の縮図みたいなところが結構あった。新津でのんびり育った私は、東京に出て、そのような中に入り、びっくりした記憶がある。
今回、文化祭で会った後輩達は、生意気ざかりだった私の高校生時代とは違い、皆きちんとしているなあという印象。(とはいえ、ほんの少数の生徒しか会っていないので、本当のところはわからないが)短い時間だったが、とっても楽しかった。
ずっと手伝ってくれたS井さん、三味線を弾いてみたいと来てくれたS野さん、どうもありがとう!機会があったら、また会いたいね。三味線に興味があれば、ぜひ連絡してくださいね。

2015-09-24 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

立憲主義について

ニラの花にヒョウモンチョウが沢山訪れている。

立憲主義について、私は、人間をどういうものと理解するのか、ということが根本にあると思う。人間は、慈悲深く、暖かいものでありながら、欲深く、冷たいものである。性善説であり性悪説である。
特に、権力を持つと、人間は欲深く、冷たいものになり、暴走をしやすいものである。
それは、今までの歴史を見れば、封建主義、中央集権、帝国主義、軍国主義等、歴史に現れた様々な姿の国家が表している。
人間は一人では生きていけないため、集団で生きて行く。それが、社会となり、国家となる。その中で、格差が生まれ、権力が生まれる。もちろん、国家のようなものを作らない社会もある。しかし、現代は、ほとんどの人間が国家に属しているのである。そして、そこには、権力構造がある。そのために、今まで犯してきた様々な問題は、歴史の中に散りばめられている。
その経験からの反省で、「よりよい社会を作らなければ」という思いは当然湧いてくる。
「社会を構成する人間は、人が一生懸命生きようとしていることを不当に邪魔してはいけない。人のものを盗んだり、殺したりしてはいけないんだ」というようなことを、決めておこうと思った。それが法律、憲法だと思う。なぜそのような当たり前のことを、わざわざ決めておくのかというと、権力者というものは、当たり前のことを、自分の欲のために、別の問題にすりかえて、当たり前の要求をしりぞけてしまうことができるからだ。
だから、憲法というものが、政治の上にある。それが立憲主義だと思う。とても優れた為政者がいれば、憲法などはいらずその人のワンマンで政治はなんの問題もない。しかし、権力をにぎると人は変わりやすい。それに、その人の次の人が優れているとは限らない。政党政治、議会制民主主義、立憲主義という姿が、ベストではないけれども、現時点では、ベターな姿なのではないかと思う。
人間はすばらしい存在だ、しかし、人間は愚かでもある。そういう理解から、立憲主義を考えている。
だから、今回のことは、問題なのだと思う。
人間というものを考えると、そう思うのだ。
もちろん私は人間が好きだ。だからこそ、人というものは、どういうものかということを忘れないでいたい。

2015-09-20 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

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