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東京教室お浚い会、無事に終了
10月17日、第5回朝川会東京教室のお浚い会が、無事に終了しました。
今回も会場は代々木能舞台。すっかり朝川会のホームグラウンドとなった素敵な会場で、日頃のお稽古の成果を発表しました。
今回は初舞台が3人。



いつものメンバーも、弾き唄いに挑戦したり、太鼓や鉦など鳴物に挑戦したり。


舞台を降りてガッツポーズの人、途中でアカペラになってしまった人、止まってしまって仕切り直しの人、舞台袖で帰りたいと言った人、3機編隊の2機が急下降、あわや崩壊かと思われたが、無事に編隊を組み直し着陸した人たち、などなど。

なにはともあれ、終演後は、皆でおいしいお酒を飲みました!
さあ、次は新潟のお浚い会。そして、話は早くも来年の研鑽会へと盛り上がりました。
皆様、来年もがんばりましょう。
皆様、ぜひ成長ぶりを見に、来年もお越しくださいませ。
実用的な庭

椿の実が、たくさん落ちた。庭のすみにまとめてあった。
「これって絞ると油が出るんだよね。このままじゃもったいないねえ」と言うと、母が、「昔は絞ってくれるところが、あちこちにあったんだよ。絞りに来てくれるのもあった」のだそうだ。うちのそばにも、絞ってくれる所があったらしい。
「その油は、どうしたの?」
「食べたり、髪につけたり」
そうか、椿油は、髪にいいというけれど、自家製だったんだ。浅草に、椿油であげる天ぷら屋さんがあって、とっても美味しかったと聞いたことがある。自家製椿油、美味しそう。
うちには、大きな椿の木が2本ある。子供の頃は木登りにちょうどよかった。きれいだなと思っていたけれど、食用、美容用という意味もあったんだ。そういえば、大きな柿の木も2、3本あったし、胡桃、栗、竹など、食用になる木や植物は、庭にたくさんあったように思う。熊本城は銀杏の木が多いのは、籠城用に植えているらしい。
昔のガーデニングは、実用的。かなり実になるガーデニングだ。

第七回 新潟教室お浚い会
新潟教室のお浚い会です。初出演の新人も交え、日頃のお稽古の成果を発表します。
会場は、明治の風情を残す元斎藤家本宅の一部を移築した「燕喜館」です。
ちょっと三味線を聴いてみたい方、邦楽にご興味のある方、どなたでも、お気軽にお越しください。
皆様のご来場を心よりお待ちしております。
・日 時 平成27年11月15日(日) 開場 14時 開演 14時半
・場 所 燕喜館
新潟市中央区一番堀通町1番地2 白山公園内
http://www.yoyoginoubutai.com/
・入場料 無料
・主 催 朝川会
・お問い合わせ お問い合わせフォームよりご連絡ください。


忘れてしまってはいけなかったこと
母に言わせると、私は子供の頃、夢見がちというか、ちょっと不思議なところがあったらしい。
花壇の脇にしゃがんで、じっと花を見つめて動かないことがよくあったそうだ。
何をやってんのかなあと思っていたらしい。
その、何をやってんのかなあと思われていた時、何をやっていたかは、実は覚えている。
いくつの頃か忘れたが、私は、「なんで皆こんな大切なことを、大人になると忘れてしまうんだろう。私は絶対忘れないようにしよう」と心に誓っていた。そして、時々、確かめていた。
その時は、花壇の脇にしゃがんで、じっと下を見るようなポーズだった記憶がある。
花を見ていたのではない。何か自分の腹の底というか、そのずっと下というか、そんな感じなのだが、そこに意識を持っていくと、何か忘れてはいけないことが、確認できるのだ。そして私は、「うん、まだ覚えている。大丈夫」と思ったものだ。
いつの頃からか、何を「絶対に忘れないようにしよう」と思ったかを、忘れてしまった。知識が増えたからか、人間関係が広がったからか、文字を覚えたからか、理由は分からない。
それから何十年。時折、私は思い出す。「いったい何を忘れないようにと思っていたんだろう」
それは、ずっと続く私の疑問だ。なんだか抜けない刺がのどにささっているようで、小さいながらも、チリチリと時々、存在をアピールしてくる。
下を見て、なにかを確認して、「うん、大丈夫。まだ覚えている」と頷いたのだ。
いつもは気にしていないことなのだ。でも、確認するとわかる大事なことなのだ。それは覚えている。でもいったいそれはなんだったのか。
今、下を見ても、何もわからない。いつか思い出す日がくるのだろうか。
それとも、忘れてしまってもよかったことなのか。
柿食えば
先日も、栗農家の川瀬さんのお宅へ、栗拾いの手伝いに行った。今度は、朝川会新潟教室だけでなく、東京教室のメンバーも一緒だ。親子で参加、始発で来て日帰りなど、皆、意気込みは満々だ。
ちょうど収穫のピークと重なり、拾っても拾っても次から次へと、栗は落ちている。
ようやく拾い終わったかなと思うと、後ろの方で、ドスンと栗の落ちる音がする。
いやはや本当にすごかった。それでも、全員で頑張って、15時頃過ぎにはなんとか拾い終わった。
収穫作業後は、美味しいスイーツで一服。目の前の庭には、さわやかな秋風に吹かれて、秋明菊がきれいに咲いている。
その隣には、ちょうど食べごろの柿の木。
「美味しそう。甘柿ですか?」皆の注目に、川瀬さんが、
「食べますか?ちょうどいい頃と思います」と外に出て、大きな脚立を持ってきた。

柿の木の下に脚立を立てて、軽々と登り、どんどんと柿の実をもいで渡してくれる。
早速皆でがぶり。美味しい!
外は秋晴れ、風は爽やか、目の前には赤い実をたくさんつけた柿の木と川瀬さん、柿を食べる私たち。
んん、なんだか不思議な感じがした。
この土地で大きくなった柿の木が、目の前で実をつけていて、それをここで育った川瀬さんが、もいで私たちに渡してくれ、それを私たちが食べている。
私たちの立っている地面の上の小さな空間で、命が回った気がした。
食べ終わったヘタを柿の木の下に埋めれば、土に帰って、本当に一周することになる。
目の前での柿の命の一回転。
どこかでとれた果物を食べて、その皮がどこかの埋立地に埋められて、土に帰っていくのも、大きく見れば、命は回っているのかもしれない。
でも、今ここで、目の前で、小さくくるっと命が回ったのだ。
なんだかいいなあ。

今は、回っているのは、命というより、お金のような気がする。お金で買われ、商品になってしまうと、命という実感が薄くなるのかもしれない。
もっとも、命も商品化され、お金のように回っていく、そんなことも起こるかもしれないが。
目の前で、くるっと回った命。
改めて柿の木に、「美味しかった。ありがとう!」
(川瀬さんの写真は一緒に栗拾いに行ったEちゃん撮影。ありがとう!)
大きいものは
先日、浅草へ行った。お気に入りの大衆食堂で、何人かで軽く一杯飲みながらの食事の帰り道、ふと目の前に、ライトアップされたスカイツリーが見えた。
「こう見ると、あんまり大きい感じがしないですよね」と連れが言う。
確かに、建物の間から見えるスカイツリーは、距離感も大きさも、よくわからない感じもする。
「でも、高尾山と同じ位なんですよね」と皆でながめた。
高尾山。私が以前山登りをやっていた時、休日によくトレーニングに行った。あの頃は体力があったので、高尾山口駅からノンストップで45分位で頂上についた。その高さに、エレベーターであっという間に着く。不思議な感じだ。
山に登る時は、登山口ではるか山頂を見上げ、「どのくらいであそこまでいけるのかなあ」と思ったものだ。山は大きく、森林は深く、花や草が無数に茂り、沢の音が聞こえ、いろんな鳥が鳴いていた。沢山の知らないもの、大きなものに囲まれている感じがした。
子供の頃だって、田んぼや川や山や、人間よりは大きなものに囲まれていた。
「大きなもの」は、「自然のもの」だった。
今、東京を歩いていると、山は見えない、川もほとんど見ない。あっても両岸をコンクリートで覆われたおとなしい川だ。木も、庭か街路樹だ。
大きなものといえば、人間が作ったものだ。高層ビル、競技場、高尾山と同じくらいの高さのスカイツリーもだ。
大きなものは、すごいもの、そしてそれを作りだしたものは、すごいもの、と単純に子供の頃は考えていたから、自然はすごいなと思っていた。
目の前にある大きなものが、人間の作ったものばかりとなれば、それを作った人間がすごいもの、と単純に刷り込まれるのだろうか。
「すごいもの」、になりたくて、「大きなもの」を作るのだろうか。
父と薬
実りの秋だ。いたるところで果実が実っている。
柿が赤くなると医者が青くなると言う。

父は寄る年波と共に、服用する薬の種類も量も増えていった。それにつれて症状が良くなるというよりは、悪くなっていくような気もしていた。年をとっていくのだから、しかたがないといえばそれまでだが、何より本人が、薬を飲むのをいやがっていた。
ある時を境に父は薬を止めた。
しばらくして、父の顔色が良くなっていることに気がついた。手の指がいつも青黒く爪の色も悪かったのだが、いい色になっている。あれえ、と思って触ったら、暖かい。子供の頃から、父は手足の先が冷えていて、夏でも靴下をかかさない人だったのに、意外だった。
血の巡りがよくなっているのは、よかったなと思った。
先日、なんだか父がいつもよりスタスタ歩いていると思って、何気なく足を触ると、外反母趾がかなり改善されていた。
だから楽に歩けるようになったんだと納得。
薬を止めたからなのか、他の原因なのかはわからない。
でも、外反母趾が改善したのは事実だ。よかった。
薬が大好きな人は多い。「あの医者は薬を出してくれない」と不満をいっていたおばさんもいた。「たくさんあるから少しあげる。これ効くよ」と人にあげている人もいる。
「酒と女は気の薬さ」という小唄の文句があったが、そんな薬もあるか。
とにかく父は薬を止めた。
それから、特に何が悪化するでもなく、血圧も特に問題もなく、今日にいたっている。
とりあえずよかった。
うさぎの谷
私は地名が好きだ。地名を見ていると、いろんなお話が湧いてくる。どんなところだったんだろう。どんなことがあったんだろう。妄想は尽きない。
私の母の実家の方は、里山に縄文時代の遺跡もあり、昔から人が住んでいたところらしい。麓のあたりまでは海だった。程島、東島、西島などという地名がそれを物語っている。その間に、中村という地名がある。なぜ、ここは島がつかないのかと思っていたら、ここら辺は中洲だったと、昔話にあった。なるほど。
母の家のあたりは、山が近いので、谷がつく地名が多くある。塩谷、欅谷、椿谷、兎谷、みんなそれぞれに美しく、想像をかきたてる。
中でも兎谷は、ぴょうぴょんと兎が遊んでいるようで、なんともかわいい。

しかし、その兎谷は、もう谷ではない。
高速道路を作る時だったと思うが、そのあたりの山が全部崩され、道路の盛土に使われてしまったのだ。兎谷を抜ける道を以前通った時は、だだっぴろい赤土色の地面が広がっていて、周りには、削り取られた赤土色の断面がむき出しになった、山とはもはや言えないような、土の塊がわずかにあるばかりだった。
「このあたりは雑木林で、紅葉が真っ赤で、本当にきれいだったんだよ。毎年見るのが楽しみだったんだよ」と母は言っていた。今の姿を見るのが悲しくて、この道は通りたくないと言っていた。
私もなんだか見るに忍びなく、しばらく通っていなかった。
先日、たまたま通りかかった。土色の地面は無く、一面草で覆われていた。自然の回復力はすごい。もしかしたら兎はいるのかもしれない。
けれど、山は二度ともどらない。兎は戻っても、山は戻らないのだ。
高速道路は確かに便利だが、あの土はどこかから持ってくるしかないものだ。それは、山を崩して持ってきていたのだ。日本全国に広がる数多くの道路、その量だけ、山は削られている。
きっと数多くの、山と谷が消え、地名だけになっていることだろう。
今では原となった兎谷。月夜の晩は、兎が皆で踊るだろうか。
スーパームーン
昨日、新潟は日中秋晴れだったが、夕方から雲が広がった。今日は月が見られないのかな、と思っていたが、9時頃から雲が切れ、美しい満月が見えてきた。
家族を誘って庭に出てみる。
漆黒の空に白い月。明るい。自分の影が、くっきりと庭に伸びている。
「影踏みができそうだね」母に声をかける。
影踏みなんて、今時もう誰もやらないかもしれないが、「ほらほら」と母の影を、庭を歩きながら踏んでみる。
庭を見ると不思議だ。草花の花の色まで、わかる。顔の表情だって、もちろんわかる。以前、部分日食の時に、昼なのに薄暗がりになり、色彩が薄れたような明るいような、不思議な光景だと思ったが、それにちょっと近い。
盆踊りは15日。昔は太陰暦だったから、満月の日にやったのだ。
このくらい明るかったら、お互いの顔もよく見えるし、夜通し踊っても問題ない。
江戸時代は、太陰暦だった。明治になってから、太陽暦に替わった。替わってからも、農業従事者からは、太陰暦が必要との声が強く、しばらく並行して使用されていたと聞いたことがある。その理由を私はよく分かっていなかった。
たまたまある雑誌で、その理由が分かった。植物は月の満ち欠けに従って育っているのだそうだ。たとえば、タネは、月の引力や月光の強弱に影響を受け、満月までにタネをまくと、発芽にもその後の成長にも良いそうだ。月の満ち欠けで変化する植物の水分量に合わせて、苗を植える時期とか収穫の時期なども決めていたのだそうだ。
そんなこと、全然知らなかった。
なんだか、すごく大事なことを忘れているのだなと思った。
きっと私たちは、こういうことを捨ててきたのだ。
野菜は、土と太陽と水が作ると思っていたが、土と太陽と月と水が作るんだ。
満月の光が土の中のタネに差し込む、そして、芽吹く。
タネの目覚めは、朝ではなく夜なのだ。
びっくり、どっさり
お米と栗の生産をしている知り合いの農家さん川瀬さんのお宅へ、今年も栗拾いのお手伝いに行った。

いつもは、稲刈りが終ってから栗拾いのシーズンになるのだが、今年は、9月の長雨で稲刈りが遅れ、夏の日照りで栗が早く落ち始めたのとで作業が重なってしまい、川瀬家では、てんてこ舞いだ。連休の最初に弟が手伝いに行ったのだが、「誰かが撒いたの?っていうくらい、一杯落ちているよ」とのこと。しかも、一人は稲刈り、おばあちゃんは負傷により戦線脱落と、かなり戦力不足らしい。
これは一大事!と、お弟子さんにも声をかけ、栗拾いの手伝いに馳せ参じた。

栗の林に入ってすぐ、すでに道に相当落ちている。これはすごいぞ!気を引き締め、皆散らばって栗拾いスタート。あるある、たっくさん落ちている。いつもは、カゴを片手に、歩きながら拾うのだが、今回はあまりにもたくさん落ちているので、カゴをおいて、両手で拾っては入れていた。一本の木の周りにたくさん落ちているので、中々次の木に進めない。カゴが一杯になって、道路際のコンテナに入れにいくのだが、またこの場所に戻ってこられるように、よくよく確認しながら、道路まで戻る。しかし、戻っていく途中で、また沢山の栗が落ちているので、それを拾っているうちに、どこまで拾ったか、わからなくなってしまう始末だ。
栗は、落ちるとすぐに虫がつく。子供の頃、庭に栗の木があったが、時々小さい虫が入っていたのを覚えている。だから、すぐに拾わなければいけないのだ。たまにイガを開けると、中から黒い虫が慌てて出てくることがある。「勝った!虫にまだやられてない!」栗拾いは、虫との競争でもある。

栗は拾ってから、洗い、拭いて乾かしてから、虫食いなどを選別して外す。それから、燻蒸へ持っていくのだ。「昨日は出荷300キロでした」と、さらっと言う川瀬さんだが、300キロの栗って、どんだけなんだろう、すごい。
お昼ごはんは、おばあちゃん手作りの野菜料理オンパレード。インゲンの胡麻和え、かぼちゃの煮つけ、レンコンの胡麻酢合え、蕨とショウガと野菜のお浸し、南瓜と茄子と万願寺唐辛子の揚げ浸し、茗荷の甘酢漬け、それに絶品の川瀬夫人の鳥の唐揚げである。皆おいし~い。食欲が止まらない!

午後にもう一働きして、お八つは川瀬家の栗ジャムとアイスクリームに、おばあちゃんの稲荷寿司。おいしかった~。
栗はこれからがピークだという。本当は毎日でもお手伝いに行きたいのだが、時間が許さず残念だ。
帰りにお土産にいただいた新米を、さっそくいただいたが、とってもおいしかった!
筋子にたらこで、何杯でも食べられそうでこわい。白いご飯がおいしいと、本当におかずはたくさんいらない。梅干し、塩鮭、納豆、漬物あたりで、どんどんいけてしまう。海苔もほしいな。
私が最後の晩餐は何?と聞かれたら、白いご飯に塩引き鮭と答えは決まっている。
しかし、最後の晩餐には、まだ早い。まずは川瀬家のおいしい栗で、栗ご飯を堪能しよう。
おすすめします。川瀬さんの栗
◆マロンファーム
新潟県五泉市(旧村松)
電話番号:0250-58-4363(川瀬さん宅)
ビッグな3Lサイズは、びっくりの大きさ!







