グローバルな三味線

三味線
三味線は、永禄年間(1558~70)に、琉球から堺の港に伝来したと言われている(異説あり)。蛇皮を張った二本弦の楽器を琵琶法師が弾いたのが始まりと言われ、それで、撥で弾くようになったとか。
三味線には様々な改良が加えられて現在の形になった。皮も蛇から色々と試して、猫や犬に落ち着いたのだと思う。
三味線の材料は、糸(絹糸)以外は、ほとんど、輸入品である。ギターでいうネックにあたる棹は、紅木、紫檀などであるが、すべて輸入品。なかでも一番高級とされる紅木は、インドでしか取れない。糸巻きや撥、駒に使われる象牙はアフリカ、撥や駒に使われるべっこうはキューバ、胴に使う花梨は東南アジア。皮も現在はほとんど輸入品である。
江戸時代は、鎖国をしていたと言われるが、海外との交易が無かった訳ではなく、幕府以外の者の海外との交易を禁じ、交易する国と場所を限定していただけで、世界中の物は入ってきていた。国内外の材料を色々と試しながら、三味線の形ができてきたものと思う。
三味線の材料は、ほとんどが動植物由来である。文化というものは、やはり自然界からの贈りものがなければ成り立たないものである。
三味線の材料は、ほとんど国外から来ている。もし、交易ができなくなれば、三味線という楽器も現状の形では維持できなくなるということである。文化というものは、時の社会とも強くつながっている。日本の文化だからといって、日本だけが無事であればそれで成り立つということはない。
三味線音楽は、江戸時代に花開いた音楽だ。そして、その音楽を演奏し、楽しんだのは、庶民だ。庶民が、芸能に従事し楽しめる。これは平和な時代ということだ。
文化は平和だからこそ、大きく花開く。三味線音楽が、これからも続いていき、日本人のみならず世界の人たちが楽しんでいくためには、やはり平和が必要だろうと思う。
芸能は祝ぐことが原点だと言われる。それは、平和を言祝ぐのであろう。

2015-06-16 | Posted in ブログ, 邦楽文化No Comments » 

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