さわり妄想

sawari_R三味線の音で重要なのは「さわり」である。これは、三本の糸のうち、一番低い音を出す糸を、わざと棹の一部に微妙に触れさせることによって出る雑音である。
構造的には、三本の糸の低い音の糸だけを少し低くすることによって、その糸を弾く時に、棹の上の部分につけた角に微妙に触れるようになっているのである。
三味線の調子(チューニング)は主なものが三種類あるが、いずれも互いの糸が、開放で弾く時や特定の場所を抑える時(勘所)共鳴するようになっている。一の糸(一番低い音の糸)に共鳴する時に、ジョワ~ンというような雑音のような響きがする。これが「さわり」である。
今まで三味線を見たことも聞いたこともほとんど無いお弟子さんが、この「さわり」の音を聞いて、「この三味線は壊れている」と思ったと、言われたことがある。
たしかに、ピアノ、ギターなど、耳慣れている西洋音楽の楽器には、無い音である。
でも、この、「さわり」がなければ、三味線の音は、なんだか間抜けな、なんともつまらない音になる。「さわり」あっての三味線なのである。
きれいなハーモニーで、雑音なく共鳴する音楽、それも美しい。でも、私たちの祖先の江戸時代の日本人は、琉球から渡ってきた時にはなかった「さわり」を、わざわざ三味線につけた。これは日本人の工夫だ。
ただ雑音なく共鳴する音が、日本人には物足りなく感じた、何か違うと感じたのだろう。
庭の木々や、川、山、いずれも左右対称にきれいな形をしているものは無い。人間の顔だってそうだ。きれいな図形のように刈り込まれた植木よりも、いびつな形の方がなごむ。
顔も性格もいろんな人がいるし、その方がおもしろい。落語の登場人物だってそうだ。そしてそれらの人たちの間に優劣はない。色々いるところで、お互いがいきる。
そんなことが、「心地よいこと」と感じられるから、三味線にも「さわり」をつけたのではないかな、と思う。
「さわり」とは、「触る」ものだし、「障り」があるものだが、それがいいんだと思う。
アリは、列を組んでせっせと食べ物を運んでいるが、中には、どういうわけが列を外れて、ふらふらしてしまうアリがいるらしい。そういうアリが、また、別の食べ物をたまたま発見してくるのだという。集団行動では「障り」のあるアリかもしれないが、別の意味では良いことをしているアリだ。
CDの音より、LPの音が好きだ。
均一なきれいな紙よりも、和紙が好きだ。
さわりから、色々と妄想が広がる。
妄想も、生活では障りかもしれないが、でも、そういう妄想が、また、何かになったりする。

2015-06-18 | Posted in ブログ, 邦楽文化No Comments » 

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