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夏草や

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梅雨明けとともに、猛暑がやってきた。今年は日照りだったので、梅雨入り前は、それほど草が生い繁ることは無かった。しかし、やはり、夏と共に草は繁る。
久しぶりに畑を一周。いるいる、いるいる、いたるところ、草が生い繁っている。母と弟が頑張って手入れをしているのだが、ものともせず、夏を謳歌している。アスパラガスの畑は、けっこうせっせと取ったはずなのだが、草にうもれている。隣の畑の、何も植わっていないところは、草の海だ。
ふんだんに注ぐ夏の日を浴び、草はぐんぐん育つ。ざっと雨が来る、またまた芽を出し、ぐんぐん伸びる。あっという間に地面を覆ってしまう。ものすごいエネルギーだと思う。
草を取っていても、もしかしたら、次に芽吹く草のために耕して、日当たりを良くしているだけではないかと、錯覚するほどだ。
夏草や 兵どもが 夢の跡
そんな俳句を、思い出した。兵どもが血で血を洗うような戦いをした跡も、今では夏草が生い茂るだけ。
しかし、その夏草は、土、日差し、水があれば、我先にと生い茂り、あっというまにあたりを覆ってしまう。恐ろしい程の勢いだ。権力、富を追い求め、我も我もと群がっていたあの時代。その様子も、夏草に重ねてしまう。
繁るのは、草だけにしてほしいものだ。
蕨の草むらの中に、昼顔が咲いていた。夏の日差しをものともせず、涼しげだ。
これも夏草だね。
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2015-07-26 | Posted in ブログ, 自然No Comments » 

 

水もしたたる

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人間の身体の60%は水だ。よくそんな言葉を聞くが、あまり実感として思ったことはない。しかし、肌の保水が良い状態だと、日焼けしにくいのだと最近聞いた。確かに考えてみればそうかもしれない。お肌がしっとりピチピチなら、紫外線も跳ね返してしまいそうだ。肌も目もドライがちな自分は、うるおいが足りないなあ、と考えてしまった。
生き物の体内の水は、体外にある水よりも非常に安定した状態なのだそうだ。そういうものは、身体にいいらしい。ヘチマ水は、むかしから化粧水として使われているが、そういうことなんだろうな。
きっと、野菜の水分も身体にいいのだろうと思う。ズッキーニを切ると、切り口にたくさん水滴が出てくる。水茄子も、農作業の合間に水替わりにぎゅっと絞っていたというから、水分の多い野菜なのだろう。野菜はかなり水でできている。野菜を食べるというのは、野菜の水を食べているのだと思う。野菜の水は、身体にいい。
ということは、身体にいい野菜の水分を、逃がさないように料理することが、大事なんだろうなと思った。
ズッキーニをじっくりとフライパンで焼いて、塩を振って食べた。甘い!とってもおいしい。今までで一番おいしいズッキーニだ。
これに機嫌をよくして、夏野菜をたっぷりと厚手の鍋でじっくり炒め焼きして、カレーを作った。これも、野菜の甘みがたっぷりで、今までにない美味しさだった。
そうか、野菜を食べるということは、野菜の水を食べるのだ。
そういえば、和食は水の料理だという。蒸す、茹でる、和える、みんな水でくるむ料理だ。ゴマ豆腐なんて、水を食べている部分がかなりある。
日本の水は、世界でも有数の美味しさだ。日本のよい水を食べる料理、和食。日本の水よ、ありがとう。

2015-07-22 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

ごま豆腐に挑戦

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ブログの書き出しがすり鉢だったのに、その後すり鉢の話がないのは、どうなっとんじゃい?と思っていた方もいたかもしれない。
決してスリラーを諦めたわけではない。その後、白和えや胡麻和えを、時々作り、楽しんではいた。豆腐の水切りが甘く、イマイチという時もあったが、まずまず近頃はいけている。最近では、母が畑で作ったモロッコいんげんを、ごまみそ和えにしたのが、なかなか美味だった。
しかし、精進料理との出会いのインパクトナンバーワンは、ゴマ豆腐である。「今までスーパーで買っていたゴマ豆腐は、いったいなんだったんだ!」と感激した棚橋氏のゴマ豆腐は、色も味もすべてが違っていた。
「あれに挑戦しなければな、いつか」と思っていた。
そして、我が集落の夏祭りの宵宮のご馳走は何にするかとの話で、私は「今年はゴマ豆腐を作ります」と宣言したのだ。
ゴマ豆腐名人のお弟子さんからいただいたレシピに沿って、ゴマを水にひたし、それからすり始める。時々すり具合を確かめるが、10分や20分ではまだまだだ。一度どろっとなった後、軽くなったな、と思ったら、綺麗な白い液体になり、すり上がりである。約30分かかった。その後は、しぼって、吉野葛、酒、塩を入れて、火にかけ、練って、型に入れれば完成、なのだが。
どうも葛の量か水の量を間違えたらしく、ゴマ豆腐というよりは、柔らかめのくずもちのようになってしまった。
ちょい、失敗、、、。
無理やり家族や親類に食べてもらう。18歳男子が、「おいしい」と言ってくれたのを、なぐさめに、なんとか初挑戦は終了となった。
しかし、すり鉢をこまめに使っていると、ちょっとした和え物は、あまり苦じゃなくなる。それにするという動作に必要な筋肉がつくのか、動きに無駄がなくなるのか、早く摺れるようになる。
そういえば昔は、和え物って、よく食卓に出ていた。今は、野菜料理の代表はサラダだ。サラダかぶ、サラダ人参、サラダ春菊、、、サラダと頭についた野菜が多い。でも、すり鉢料理も捨てたものではない。
この味を、いいねとあの子が言ったので、お祭りの日は、私のゴマ豆腐記念日だ。

2015-07-21 | Posted in すり鉢, ブログNo Comments » 

 

色も香りも 青畳

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お稽古場の畳が新しくなった。
じめじめした天気が続いていたが、明日は晴れそうだ!というので、畳屋さんから、急遽連絡が入った。早朝、取りに来てくれ、夕方には持ってくるとのこと。
待っている間は、わくわく。子供の頃、家の畳を新しくした時の、あのいぐさの香りをよく覚えている。あの香りにまた、会えるのだと待ち遠しい。
夕方届いた畳は、文字通り青畳。本当に青いんだ。そして、やはり香り。
これこれ。この香りだった。
畳縁は、畳屋さんご推薦の「鉄紺」。青畳の色にマッチして、すがすがしい。
畳を敷いた後、畳屋さんは、足袋で何度も何度も、畳を踏んで確かめ、畳表を細く切っては、中に敷いて微調整していた。ていねいな仕事ぶりに、見とれる。
「こんなにきれいだと、素足では乗れませんね」と言ったら、「いえいえ、素足でこそ、畳の気持ちよさがわかりますよ」とにっこり。
湿気が多い時は湿気を吸い、乾燥している時は湿気を吐いて、空気を調整してくれるのだという。桐と同じだ。
三味線は、湿気を嫌うので、三味線箪笥やケースなどに、桐は最適だ。糸も湿気を嫌うので、糸入れなどにも、桐が使われている。湿気の多い日本では、湿気の調整が大事だが、植物のお陰で、快適に暮らすことができるんだなと改めて実感。
桐よ、い草よ、今日もありがとう。
私の好きな絵に、小村雪岱の「青柳」という絵がある。畳の美しい絵である。画集を出して、この絵をしみじみまた眺め、い草の香りに浸っている。

2015-07-18 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

消えそうな畳

お稽古場の畳を新しくすることになり、その相談で、畳屋さんに行った。
どのような畳にするかの相談だったのだが、突然行ったにもかかわらず、丁寧に色々と教えてくれた。
畳は産地によって価格が違う。岡山産が多いと思っていたのだが、岡山のい草農家は、最近最後の一軒が辞めたので、無くなったそうだ。福山も沢山あったのだが、かなり少なくなっているらしい。その他の産地としては、熊本、高知などらしい。
知らなかった。畳は備後のなんとかで、と、落語にあったような気がするが、今は違うのだ。
もっと驚いたのが、畳は日本にしか無いのだという。どこかから似たようなものが伝わってきたというのではなく、まったくの日本のオリジナルなのだそうだ。正倉院に最古の畳というのがあって、最近展示があったそうで、畳屋さんたちは、大勢見に行ったそうだ。
そして、これも恥ずかしながら知らなかったのだが、畳の中は、わらである。見せてもらったが、ギュとつまったわらのマットだ。
「稲作地帯は日本以外にもありますが、畳のようなものを作ったのは、日本人だけです」と畳屋さんが教えてくれた。不思議だ。
畳を張る前のわらのマットに上がってみたが、適度な沈み込みと、涼しいような暖かいような心地よさがある。しかし、この土台の部分を作る方も、もうすぐやめてしまうそうだ。
畳、それがない日本家屋は想像できない。私の家は畳の部屋がもちろんいくつもある。私は東京に出てきてからうん十年、畳の無い部屋に住んだことがない。窓は障子なのでカーテンもほとんど使ったことがない。三味線のお稽古は、正座が基本だ。畳の無い生活など考えられない。
今は、中が発泡スチロールのような畳や、着色した和紙の畳の上に樹脂がコーティングされた畳とは言えないようなエセ畳が主流なのだそうだ。
私たちの生活から消えそうになっている畳。
和の文化は畳の上にあるものなのに、畳を無くして、何をその上に置こうというのか。
私たちは何を無くして、何を残そうとしているのか。
残すもの。それは、少なくとも巨大な競技場ではないはずだ。

2015-07-09 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

魚鳥木(うおとりき)

魚鳥木
「魚鳥木、申すか」
「申す」
「必ず申すか」
「必ず申す」
「きっと申すか」
「きっと申す」
「魚」

これは、昔、吉原の芸者さんに教わった遊びである。「魚」と言われたら、代わりばんこに知っている魚の名前を言う。詰まったり、間違えたりすれば、負けである。「魚鳥木」のどれかを選んで言う。
吉原の芸者さんに教えてもらったのだから、これはお座敷の遊びだろう。間違えればきっと罰杯だ。たくさん名前を知っている人の勝ちだ。苦し紛れに、捏造した名前を言ったり、「借金取り」、とか、「焼き鳥」とかも、でたかもしれない。とんでもない名前を言ってウケをねらうというのもありか。女性陣にウケれば、モテモテ間違いなしだ。
昨日のブログを書いてから、この遊びを思い出した。木の名前がすらすら50も言えるのは、この遊びで勝つ秘訣だ。鳥や魚の名前もそうである。鳥の名前といっても、50も100も覚えるのは大変だが、モテるためなら、たいした苦労でもないはず。
そんなこともあったのかなあ。
ちなみに私は、山登りをやっていた時に、結構、鳥の名前も覚えた。50はいけるか?
江戸の町は、大名屋敷や神社仏閣が多く、さながら田園都市だった。当然植木屋さんも、多い。園芸好きも多い。ちょっと郊外に行けば、田園風景が広がっていた。鳥などもたくさんいたと思う。江戸湾の多種多様なおいしいお魚も、毎日上がっていた。
私は海があれば、そこにはたくさんの魚がいるはずだと思っていたが、以前、バルト三国に行った時に、お魚は、鱈か鮭か、あまり何種類もいないのだと聞いて、びっくりした。
「魚鳥木」、なんて、ぜいたくな遊びなんだろう。日本の自然に感謝。

2015-07-08 | Posted in ブログ, 自然No Comments » 

 

木の名前

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江戸時代の人は、木の名前を50種類位は、さっと言えたそうだ。そう言われて、そんなの簡単だよ、と思った。私は農村育ちだし、山登りもしているので、結構木の名前は覚えているつもりだ。
まずはオーソドックスなところから、松、桜、梅、桃、、、あれ、15位で、一端止まる。そうだ、庭にある木を順番に、楓、躑躅、椿、山茶花、木蓮、、、、ちょい小休止。そうだ、子供の頃庭にあった木は、栗、胡桃、すもも、無花果、、、。うーーん、後8個。山でみた木は、クヌギ、ナラ、ダケカンバ、、、。ようやく50だ。結構、大変だった。
そのあと、買い物に出た。見渡してみる。銀杏、躑躅、紫陽花、桜、梅、、、あれ。あんまりないなあ。あ、駅前に百日紅。しかし、少ない。
身の回りに無いと、名前も出てこない。「木」をイメージした時、浮かんでくる形が少ない。虫や鳥、花もそうだろうな。
知らないということは、無いということだ。浮かんでくる姿が、少ないということだ。
「無い」といっても、存在はしているのだが、自分の中には、「無い」。
「知らない」と「無い」を混同してしまうことって無いだろうか。
「知らない」と思えば、「知りたい」と思うが、「無い」と思えば、そこで終わり。自分は、すべてを「知っている」と思ってしまう。
「木」は、自分で見て触らなくても、テレビや本でも見ることはある。でも「木」の名前を思い出そうとした時、出てきたのは、自分の目で見て、触ったことのある木だけだった。
「知っている」というのは、身体感覚とセットなのかなあ。
身体感覚で「知っている」という数が、彩になるんだろう。
雨はどうだろう。
バシャバシャ、シトシト、ポツポツ、、、どれだけ言えるかな。
何かの数をどれだけ言えるか、考えてみるゲーム。
ちょっと続けてみようかな。
(写真は、新潟の友人が撮影した「牧の衛守杉」。とっても大きな木で、始めて出会った時は、心の底が震えるような感動があった。「木」、なんだけど、地域を守ってくれている「偉大な人」という感じがする。)

2015-07-06 | Posted in ブログ, 自然No Comments » 

 

行って帰らない道

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我が家の庭には、紫陽花の木が20本位ある。姿も色もとりどりに、空梅雨の空の下、色をそえている。私の家族は紫陽花の花が大好きだ。
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私の父は高校で数学を教えていた。母は専業主婦だ。私と弟を東京の大学に通わせてくれたのは、結構大変ではなかったかと思う。私はそのまま東京で就職し、自活できるようになった。勤め始めて何年か経った頃、父に、「東京の大学まで出してもらって、今まで色々とありがとうございます。これからは親孝行してお返しします」というようなことを言った。
そうしたら父は、「親に返したら、行って帰ってそこで終ってしまう。親にはいいから、それを別の人に返しなさい。そうすればずっと続いていくでしょう」と言われた。
ああ、そうだな。私の目には、親の姿しか映っていなかったが、その言葉を聞いて、自分の周りや、過去、未来、ずっといろんなことがつながっているし、つながっていくのだと思った。
私の近所では、野菜は廻る。そして、思いも、手渡しで、廻っていくのだな。
父も寄る年波には逆らえず、だいぶ昔のことを忘れている。今、父に「そんなことを昔言われたよ」と言っても、多分「わからない」というだろう。でもいいのだ。私は父からもらった。そして、それを誰かに渡し続ける。それが私の親孝行なのだと思う。

2015-07-05 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

小西洋也さん 銀座で個展

朝川玲麻呂こと小西洋也さん(東京教室)は、絵描きである。学生時代から、マスメディアの一線で活躍する傍ら、絵をずっと続けてきた。実は、玲麻呂という名前は、絵描きである小西さんに、喜多川歌麿を意識してつけた名前なのである。
その小西さんの第四回目の個展「J’s BAR」が、6/29~7/4、銀座「文藝春秋画廊 ザ・セラー」で開かれた。梅雨空の下、朝川会のメンバーと早速駆けつけた。
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今回も、油絵と水彩が、飾られている。水彩は、風景や、静物画。私は、野菜を描いたものが好きなのだが、今回も花が咲いたばかりのきゅうりの絵に、初夏の命を感じて、見入ってしまった。
油絵は、柔らかい、明るい色調のものが多く、なんだか幸せな気持ちになる。いつもちょこんと子犬がいるのは、愛犬のジャッキーの姿だ。会場には、ジュエリーデザイナーの奥様もいらっしゃった。
オープニングパーティでは、三味線をやっていることをカミングアウトし、絵の世界の小西さんしか知らなかった来場者の皆様からは、驚きの声があがったとか。
個展のあとは、東京教室のお稽古場に、小西さんの作品を飾る予定です。皆様、お楽しみに。

2015-07-04 | Posted in ブログ, 朝川会No Comments » 

 

野菜は廻る

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私がまだ小さい頃、毎週、村の寄り合いが行われていたような気がする。
周りがほとんど農家なので、農作業の打合せなどが多かったのだと思うが、それ以外にも、お祭りや、地域の行事やら色々とあったのだろう。ゆっくりと話し合いをしていたような気がする。そして、お酒を飲みながら、村の昔話や、地域の人々の近況などの情報交換をしていたのだろう。近所の人たちが、どこの家の誰はどこから嫁に来た、とか、どことどこは親類だとかいうことに、とても詳しいのに驚いた。それも何代も前からの話なのだ。
多分、みんなどこかで繋がっているよね、という気がしてくる。
どこの誰が具合が良くないとかいう情報も、重要だ。さりげなく知っていなければいけないし、お見舞いに行かなければいけないし。お見舞いに来てもらうことが大変で、病院に行っていることを、なるべく悟られないように、ということもあったかもしれない。
旅行のお土産なども、たくさん行き来していた。毎日の野菜のおすそ分けなど、もっと頻繁である。
りっぱな野菜を、「ありもんだから」と言って、置いていく。「ありもん」、家にあるものだから、という意味だ。豊かだなあと思う
「この前は、お宅から○○をいただいたから」から、などと言いながら、色々と届け合う。
皆さんに共通している感じは、「私は相手よりも、たくさんもらっている」という感覚だ。だから、常にお返ししなければと思って行動している。こうして、ぐるぐるとプレゼントが続いていくのだと思う。
我が家には、江戸時代の先祖が書いた書類がたくさんあるが、法事やお祝い事の時に、誰から何をいただいたかの一覧がたくさんある。いもだったり、大根だったり。これはいただいたリストであり、いつかお返ししなければいけないリストだ。これが、この地域で生活いく上では、非常に大切な書付だったと思われる。和紙で綴った帳面に、毛筆で細かい字でびっしり書いてある。
いつも自分は足りないと思っていると、贈り物の輪は、途切れるか、始まらないが、いつももらいすぎていると思うと、永遠にその輪は、続くのだろうな。
はて、私が止めている流れはないだろうか?落ち着いて、点検しなければ。

2015-07-03 | Posted in ブログ, 昔の生活No Comments » 

 

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