消えそうな畳

お稽古場の畳を新しくすることになり、その相談で、畳屋さんに行った。
どのような畳にするかの相談だったのだが、突然行ったにもかかわらず、丁寧に色々と教えてくれた。
畳は産地によって価格が違う。岡山産が多いと思っていたのだが、岡山のい草農家は、最近最後の一軒が辞めたので、無くなったそうだ。福山も沢山あったのだが、かなり少なくなっているらしい。その他の産地としては、熊本、高知などらしい。
知らなかった。畳は備後のなんとかで、と、落語にあったような気がするが、今は違うのだ。
もっと驚いたのが、畳は日本にしか無いのだという。どこかから似たようなものが伝わってきたというのではなく、まったくの日本のオリジナルなのだそうだ。正倉院に最古の畳というのがあって、最近展示があったそうで、畳屋さんたちは、大勢見に行ったそうだ。
そして、これも恥ずかしながら知らなかったのだが、畳の中は、わらである。見せてもらったが、ギュとつまったわらのマットだ。
「稲作地帯は日本以外にもありますが、畳のようなものを作ったのは、日本人だけです」と畳屋さんが教えてくれた。不思議だ。
畳を張る前のわらのマットに上がってみたが、適度な沈み込みと、涼しいような暖かいような心地よさがある。しかし、この土台の部分を作る方も、もうすぐやめてしまうそうだ。
畳、それがない日本家屋は想像できない。私の家は畳の部屋がもちろんいくつもある。私は東京に出てきてからうん十年、畳の無い部屋に住んだことがない。窓は障子なのでカーテンもほとんど使ったことがない。三味線のお稽古は、正座が基本だ。畳の無い生活など考えられない。
今は、中が発泡スチロールのような畳や、着色した和紙の畳の上に樹脂がコーティングされた畳とは言えないようなエセ畳が主流なのだそうだ。
私たちの生活から消えそうになっている畳。
和の文化は畳の上にあるものなのに、畳を無くして、何をその上に置こうというのか。
私たちは何を無くして、何を残そうとしているのか。
残すもの。それは、少なくとも巨大な競技場ではないはずだ。

2015-07-09 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

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