柿食えば

先日も、栗農家の川瀬さんのお宅へ、栗拾いの手伝いに行った。今度は、朝川会新潟教室だけでなく、東京教室のメンバーも一緒だ。親子で参加、始発で来て日帰りなど、皆、意気込みは満々だ。
ちょうど収穫のピークと重なり、拾っても拾っても次から次へと、栗は落ちている。
ようやく拾い終わったかなと思うと、後ろの方で、ドスンと栗の落ちる音がする。
いやはや本当にすごかった。それでも、全員で頑張って、15時頃過ぎにはなんとか拾い終わった。
収穫作業後は、美味しいスイーツで一服。目の前の庭には、さわやかな秋風に吹かれて、秋明菊がきれいに咲いている。
その隣には、ちょうど食べごろの柿の木。
「美味しそう。甘柿ですか?」皆の注目に、川瀬さんが、
「食べますか?ちょうどいい頃と思います」と外に出て、大きな脚立を持ってきた。

柿の木の下に脚立を立てて、軽々と登り、どんどんと柿の実をもいで渡してくれる。
早速皆でがぶり。美味しい!
外は秋晴れ、風は爽やか、目の前には赤い実をたくさんつけた柿の木と川瀬さん、柿を食べる私たち。
んん、なんだか不思議な感じがした。
この土地で大きくなった柿の木が、目の前で実をつけていて、それをここで育った川瀬さんが、もいで私たちに渡してくれ、それを私たちが食べている。
私たちの立っている地面の上の小さな空間で、命が回った気がした。
食べ終わったヘタを柿の木の下に埋めれば、土に帰って、本当に一周することになる。
目の前での柿の命の一回転。
どこかでとれた果物を食べて、その皮がどこかの埋立地に埋められて、土に帰っていくのも、大きく見れば、命は回っているのかもしれない。
でも、今ここで、目の前で、小さくくるっと命が回ったのだ。
なんだかいいなあ。

今は、回っているのは、命というより、お金のような気がする。お金で買われ、商品になってしまうと、命という実感が薄くなるのかもしれない。
もっとも、命も商品化され、お金のように回っていく、そんなことも起こるかもしれないが。
目の前で、くるっと回った命。
改めて柿の木に、「美味しかった。ありがとう!」
(川瀬さんの写真は一緒に栗拾いに行ったEちゃん撮影。ありがとう!)

2015-10-10 | Posted in ブログ, 自然No Comments » 

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