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かえる ビターン

子供の頃、ザリガニ釣りは男の子たちがいつもやる遊びであった。
そこらへんにたくさんいるアマガエルを捕まえて、両足をもって地面にビターンと叩きつけて殺し、それからカエルを餌にしてザリガニを釣るのだ。
「かわいそう」と思っていたが、男の子たちは、気にもせず、毎日、カエルでザリガニを釣っていた。
かわいそう、と思っているのだが、それとは裏腹に、カエルをビターンと地面に叩きつけてみたいなと、チラッと思う時があった。
「一寸の虫にも五分の魂」と、いつも両親に言われていて、殺生はいけないと思っていても、でも、やってみたいなあという気持ちは時々湧いてきた。その度に、いかんいかん、と思ってはいたが。
ある曇り空の日、私は庭で遊んでいた。そこへ、アマガエルが出てきた。
「どうしてもやってみたい」。ついに私は誘惑に耐え兼ねて、カエルの両足を持って、ビターンと地面に叩きつけてみた。
と、その時、ポツポツと急に雨が降ってきた。
「あ!空が泣いている」。
私がカエルを殺したために、カエルや空や、もしかしたら、いろんな神様が、悲しんで泣き出しような気がした。
びっくりして、怖くなって、あわてて家の中へ逃げた。
「なんて、ひどいことをしたんだろう」
外の曇り空よりも暗くてどんよりした気持ちだった。私は、皆に許してもらえるんだろうか。
後で、カエルを置いてきた場所を見に行った。カエルはいなかった。
ずーっと後になって、あの時、カエルは気を失っただけで、降り出した雨に当たって目が覚め、あわてて家へ帰って行った、ということなんじゃないかと思い当たった。
たぶん、きっとそうなのだろう。そうであってほしいと思う。
でも、あのタイミングの雨。本当にこわかった。
二度と不要な殺生はしません!と雨の間、私は家の中で誓っていたんだもの。

2015-12-21 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

コウモリ

体調を崩して、1週間寝ていた。動けない、という状態で、本を読むでもなし、テレビ、ラジオでもなし、となると、つれづれ思い出したり、思いついたりの日々だった。そんな中から。

小学校の二階の図書館の屋根裏に、コウモリが住んでいた。夕暮れどきになると、校庭の上をよく飛んでいた。
手のひらをおにぎりを握る時のように丸くして、両手で打って「ポンポン」と音をさせると、コウモリがついてくる、というのが子供たちの決まりごとだった。確かに、「ポンポン」と手を打つと、コウモリはついてくる。ただし、どんなに遠くても、しばらく行って道が二つに分かれる橋のあたりまでで、そこまで来ると帰ってしまう。
小学校から私の集落までの1キロちょっとは、田んぼの中の一本道。街灯も車もほとんどないのんびりした道を、夕暮れ時に、「コウモリがどこまでついてくるか?」などと、友だちと言いながら帰るのは楽しかった。
ある秋の日だったと思う。かなり日が短くなっており、学校を出た時点で、すでに薄暗かった。群青色に暮れている空に、黒い小さな影となって、コウモリが飛んでいた。
友達と、「ポンポン」と手を打ちながら、コウモリを連れて、歩いていった。道が二つに分かれるところで、私は友達と分かれて一人になった。その日は、どうしても、もっとコウモリと歩いていたかった。
私は、一生懸命、「コウモリさん、もっとついてきて」と思いながら、手を打っていた。
すると、その日は、なぜかコウモリがずっとついてきてくれた。いよいよ集落に入り、あと4軒で私の家という小さな橋のたもとで、私は、「どうしよう。こんなに遠くまで連れてきてしまった。コウモリさんは帰れるんだろうか。私ももう家に着いちゃうし」と、急に悪いことをしたような気がして、立ち止まってしまった。ほとんど黒に近い群青色の空を、コウモリは黒い影で飛んでいる。「どうしよう」と、思いつめて、コウモリから目を離した、その時。
急に耳元で、バサバサっという大きな音がした。私はびっくりして、あわてて両手を振り回した。そして、気がついたら、コウモリはいなくなっていた。
「さっきのはコウモリさんだったんだ」と思ったが、後の祭り。
せっかく、一生懸命、ついて来てと頼んで一緒に来てもらったのに、なんてひどいことをしたんだろうと、悲しかった。きっと親愛の情をこめて、肩に飛んで来てくれたんじゃないんだろうか。ごめんなさい。しょんぼりと家に帰ったのを覚えている。
先日、急にこのことを思い出した。家が近くなって、どうやってさよならを言おうか悩んでいた私に、コウモリが「さよなら」を言いに飛んで来たのではないだろうか。そして、もしかしたら、コウモリが、「突然肩にとまって、びっくりさせて悪かったな」と思っていないだろうかと、ふと思った。
だったらいいな。ちょっと気が軽くなった。
その後も、コウモリは飛んでいたし、「ポンポン」と打てばついてきたが、いつもの場所よりもついてくることは無かった。でも、あの時は確かに、私たちは友だちだった、と思う。

2015-12-18 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

音の多様性

父が大のクラシック好きだったため、幼稚園の頃からクラシック音楽漬け。保育園に行く前には必ず「乾杯の唄」、帰ってきたら、「剣の舞」、だから落ち着きのない子になったのか。小学校高学年からは、外国のポップスに目覚め、中学からはロックバンドが趣味に。20代中盤で、なんだかロックが面白くなくなり、他の音楽をやろうといろいろ聞いたが、どれもピンと来なかった。そして、三十代で三味線に出会った。これは面白いと思った。
お稽古はもちろん、歌舞伎を見たり、演奏を聞いたりと、なんでも面白かった。こんなに面白いものに、日本にいながら、なんで今まで出会わなかったんだろう、本当にもったいないとつくづく思った。もっと若い頃に、出会っていれば。
でもロックに飽きた時に、何か面白い音楽はないかと色々聞いた中に長唄もあった。でも、その時はなんとも思わなかったんだよね。ああ、もったいない。
日本に暮らして英語を学べば、二カ国後しゃべれる。日本に暮らして洋楽を学べば邦楽と洋楽の二種類の音楽が楽しめる、はずだよね。本来。
多様な方が面白い。人だって、音楽だって。

2015-12-10 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

多様性

庭の白玉椿がきれいだ。

生物の多様性とか、文化の多様性とか、多様であるということが、大事だという話が多い。
魚や昆虫の種類が多いとか、花や木の種類が多いとか、土地が変わると文化が変わったり、多様ということは豊かということだ。
一つしかなければ、それの意味がわからないこともあるだろう。黒しかなかったら、色はわからない。冷たいものがなければ、暖かいという意味がわからない。
二つしかなければ、どちらかしかない。もし、どちらかを良しとすれば、どちらかがダメになっていまう。優劣をつけてしまえば、優と劣しかない。
多様ならば、どれもどれも、それなりに良しだ。
一人の人の中にも、いろいろある。
とても子供っぽい部分や、私は女だけど男っぽい部分もあるし、人には言えないような変なことを考えている時もある。色々だ。
「もう中学生なんだから」とか「女の子なんだから」とか、言われて人は育っていくが、その都度、「なんだから」と言われたもの以外のは、捨てたり、忘れたりしなければならないと思いがちな気がする。
でも捨ててはいけないし、捨てたつもりでいても、ちゃんとある。
成長していくということは、捨てていくことではなく、積み重なっていくことなのかなあと思う。忘れてなんかいない。下の層にとってあるだけだ。そして、それでいいんだと思う。その層の重なりが、多様なんだと思う。
自然界も多様性がいいように、一人の人間も多様でいいのだと思う。子供っぽい私、男っぽい私、大人の女としての私、、、。
卒論では、実存哲学者のハンナ・アレントについて書いた。「絶対的真理は、多様性を認めない。絶対的真理があるところには、自由は無い」ということうをアレントは言っている。一人の人間だって、この人はこういう人だとか、私はこうあるべきだ、というような絶対的な姿など無いのではないだろうか。
実存哲学を学んだ端唄の師匠、これも私の多様性ということで。

2015-12-07 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

わんだ ふゆ

12月になった。新潟は晴れの日が少なくなり、雨が続き、風も強い。すっかり冬の装い。「今年は雪は多いのかな」「いつから降るんだろう」、そんな会話が多くなる。
庭に出てみる。
大好きな木、白木蓮も、すっかり葉が落ち冬の姿。この大きな木の下へ行って、空を見上げるのが好きだ。

曇り空をバックに、レースのように、細い枝が伸びている。
「重ならないように、うまくみんなで枝を伸ばしているんだねえ」そんな独り言を言う。
枝の先には、小さなつぼみがいっぱいだ。春には、また、満開の白木蓮の隙間から、青空を見るのが楽しみだ。
畑へ行く。

もう最後の薔薇かな。まだ小さな蕾がいくつもついているけど、雪が降れば、もう咲けないかもしれない。冬の薔薇も好きだ。
庭へ戻る。

万年青の赤い実が目を引く。
まわりは白木蓮の落ち葉でいっぱいだ。これがまた、雪にうもれてふかふかの土になっていく。

冬の天気は気まぐれで、雲の切れ間にかかると、急に晴れたりする。花梨の木のてっぺんに、実がまだ残っていた。

掘り上げたネギ、豆、花梨が、並べられている。花梨は玄関に一つ置こう。いい匂いが広がる。

小さな芽は水仙だ。雪が降る前に、芽は出ている。
水仙が冬の花というのが、子供の頃は不思議だった。新潟は、雪が溶けてから咲くから春の花だ。東京へ行って、1月に咲いている水仙を見て、びっくりした。雪がなければ、冬に咲くんだと知った。

南天の実は、真っ赤できれいだ。ここに雪が積もると、雪も華やかになる。

椿は咲き始め、早くも散っているのもある。この椿は、私よりずっと長くこの家にいる。子供の時にすでに大木だった、私の木登りの木である。
冬は、じっと寒さに耐えて、春を待つ季節だと思っていたが、冬とは「ふゆ」、生命力を増やす季節と知ってからは、なんだか冬がとても豊かな季節に思えてきた。
毎日寒くなり、雪も降るけれど、その間、どんどん、どんどん、増えていくものがある。そして、ぱんぱんに膨らんで張った時に、「はる」が来る。
冬も悪くないなあ。
なんてったって、私の誕生日も冬だもの。
わんだふゆ!

2015-12-05 | Posted in ブログ, 自然No Comments » 

 

気配

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先日、テレビを見ていたら、農作業を手伝えば宿泊費と食費はただになるという農家民宿が出ていた。宿泊の部屋は、一階からみると吹き抜けになっている二階で、障子だけでしきられている。おしゃべりの声や、動く音がなんとなく聞こえる。ゴツンというぶつかる音が聞こえると、「大丈夫?」などと声がかけられる。
この位がちょうどいいと、農家の方が話していた。
私も、密閉された状態は、どちらかといえば嫌いだ。家の二階にいても、ドアを開けておく。そうすれば、下の様子がなんとなくわかるし、たとえば、ドカンなどと転ぶ音が聞こえたらすぐに降りてもいける。自分のことにも集中できるし、気配を感じれば、そちらにいける。そういう状態が好きだ。
見えないけれども、音が聞こえるということは、気配を感じているということ。なんとなく気にして、気を配ることができるということだ。決して監視しているわけではない。監視するつもりならば、見えなければいけないし、逆に監視しようとしている人からの自由が得たければ、ドアをがっちりしめて、音も視覚も遮断しなければならない。
昔読んだ女性の随筆に、夏は家中のふすまをはずして、風が吹き抜けるようにするが、秋になると襖を入れ、それぞれがそれぞれの部屋に入り、それぞれの事をしている。その感じが、秋が来たという感じになるとあった。ご本人は、夏の着物をしまい、着物に綿を入れたりと冬支度にかかる。襖で仕切られているだけなので、静かながらそこはかとなく、家族がしていることがわかるようだという。
気配とは、音の世界なのかもしれない。
「秋深し 隣は何を する人ぞ」
夏は、開けっ放しになり、通りからでも、家の中が見えたような時代。秋は、障子や襖で隔てられる。けど、音は遮断されていない。なんとなく耳を澄ませている感じがする。
日本家屋は気配の家だ。気配って、気配りって書くんだなと、書いていて気がついた。

2015-12-01 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

ごちそう


嬉しいことがある時、人が集まるとき、そんな時は、ごちそうを用意する。用意している時は楽しく、いただく時は、うれしい、そして美味しい。そういうものがごちそうだ。
頭のごちそうは、知識なのだと思う。知識を手に入れ、それらをつなぎ合わせたり、新しい関係を見出したりすることは、とても楽しい。
身体のごちそうは、運動。そして、栄養、休養。身体を動かした後の心地よさ、疲れた身体に染み入るような食事の美味しさ、お風呂に入って体がリラックスする気持ちよさ。
精神のごちそうは、愛情だ。信頼しあえる人と気持ちを通わせることは、この上ない喜びだ。
河合隼雄さんは、「たましい」ということをよく話している。「たましい」というものが、あるという前提で話をした方が、いろいろなことがよくわかるというのだ。
人の頭脳や身体や精神を、機械的なものだと理解して話をすすめていくと、どうしてもそれだけでは、すっきりしない部分がでてしまう。
身体を部品のように扱った時、精神も理屈で説明できるかのように思った時、そうした時に、何か痛むものがある。それが、「たましい」ではないのだろうか。
月には兎はいない。でも、いたら楽しい。花や鳥は話をしない。けど、もしかしたら、人と話ができるかもしれない。そう思っただけで、なんだか世の中は、少し楽しく、豊かになる気がしないだろうか。
「たましい」のごちそうは、物語だ。
植物や動物と話をしたり、太陽や風が話しかけたりというお話しを、子供の頃はたくさん聞いていたはずだ。それが当たり前のように。
村上春樹さんは、生き生きとした物語を書きたいと言っていた。
それは、「たましい」のごちそうとなる小説ということではないかと思う。

2015-11-25 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

十歳


先日、本を読んでいたら、十歳というのは、ひとつの節目だとあった。そうかもしれない。
十歳になった時のことは、よく覚えている。
「私は十歳になった。もう一人前だ。大人になった。これからはなんでも自分でできる」と、思った。「だいたい子供はいつでも一人前の子供なのに、大人はなんで半人前扱いをするのだろう」などと思っていた子供だったので、十歳というのが、一つの区切りになったような気がしていた。それから反抗期になり、心身ともに大人になっていくのであるが、十歳になった時の感じはよく覚えている。
宮沢賢治の「雪渡り」というお話の中に、兄さんを誘ってもいいかと言った主人公が、狐の幻灯会に行けるのは11歳以下であると、狐に断られるところがある。昔は数えだから、やはり十歳が分かれ目となるのかもしれない。
ずっと子供ではいられないんだ、と、本当に実感した時、幼い時に亡くなったひいおばあちゃんの顔が浮かんできた。「そうだ私は死ぬんだ」と思い、恐い夜を、布団をかぶって過ごした。それも十歳だ。
十歳になり、大人になろうとするときに、捨てていかなければいけないもの、忘れてしまうことがあるのではないかと、悩んでしまった。そんな時、宮沢賢治のことを思い出した。
宮沢賢治は、あのような不思議な、どちらかといえば科学的ではないお話しをたくさん書いているが、自然科学の知識もたくさん持っている人ではないか。だから、大人になり、勉強して知識をつけていっても、今、大事だと思っていることは、なくなってしまうことはないんだ、と安心し、大きくなることを受け入れたような気がする。
十歳までに読んでいたとっても好きだった物語は、最後に主人公が死んでしまうお話しだった。十歳までは、あちらの世界に戻ることもまだできたのかもしれない。十歳を越えて、こちらで生きていこうという小さな覚悟ができたような気がする。

2015-11-24 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

腸内の細菌

人間の腸内には、100兆個の細菌が住んでいるらしい。ものすごい数だ。変な話だが、大便の4割は、腸内細菌の死骸なのだそうだ。そして2割は自分の身体の不要となった細胞の死骸なのだそうだ。だから、食べ物のカスは半分もないらしい。知らなかった。
そんなたくさんの腸内細菌が何をしているのかというと、多種類の細菌が腸の中で共生していて、口から取り込んだ食べ物が腸に入ると、それを食べて、人間に必要な栄養に変化させているのだという。その後で、腸から体内に取り入れているのだ。腸内細菌がないと、私たちは、必要な栄養が取れないらしい。その他にも、免疫細胞を教育したりしているとか。なんだかすごいぞ。
ビフィズス菌とか、腸内フローラが身体にいいとか、色々言われているが、そんなこととは知らなかった。
前から、肚という字は、なんでニクヅキに土なんだろうと思っていたが、やっと謎が解けた。腸内細菌が、口から取り込んだ食物を、いろんな必要な栄養に変えて、人間に与えてくれているからなんだ。まさに肚は、大地、土のようなものだったんだな。なるほど。
人間は、ミトコンドリアといい、腸内細菌といい、体内にいる他の生き物なしでは、一秒たりとも生きていけない存在だったんだ。人は一人では生きていけないというが、一人の体も、他の生き物なしでは、生きていけないということだ。
落語に、町内の若い衆という話があった。色々と家のものを褒めてもらう度に、どれもこれも、みんな町内の若い衆が、よってたかって、作ってくれたようなもんだよお、とおかみさんが言う話だ。
私の生命も、腸内の細菌や、細胞内のミトコンドリアが、よってたかって、作ってくれているもののおかげだったんだねえ。ありがとう!
明日は、腸内の細菌衆に、ご馳走します。

2015-11-22 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

ル・レクチェの畑

先日、信濃川沿いの道を走っていたら、「ル・レクチェ直売」ののぼりを発見。
「寄ってみようよ」と皆で寄り道。ル・レクチェは、新潟特産の洋梨だ。ラフランスよりも大きくて、柔くてねっとりと甘く、香りも良い。この季節は、とても楽しみにしている。
梨の箱が山積みになった建物の入口に、生産者らしい若い男性がいた。ル・レクチェを買ってから、「ル・レクチェの木って、他の梨の木と違うんですか?」と聞いてみた。
「そんなに変わりませんけど、ル・レクチェはまだ葉っぱが残っています。見ますか?」との答え。
「いいんですか?ぜひ」と即答の私。すぐ裏には、梨の畑が広がっていた。
「これがル・レクチェの木です」と教えてもらったあたりは、確かに少し紅葉して、葉っぱが残っている。他の木は、もう枝だけだ。すこしかがむくらいの高さに棚があって、枝が天井の様に広がっている。そして、下はきれいに草が刈られた地面だ。「草取りは大変ですか?」「何度もやります」と、表情に大げさな変化はないものの、真面目な人柄が感じられる雰囲気。
「落ち葉には、病気が付いているものがあるので、今は、こまめに落ち葉を拾っています。」とのこと。風で集めて、それを手で拾っているのだそうだ。もう6、7回はやっているという。「なるべく薬は使いたくないですから」とぽつり。
何百本もありそうな梨畑。その落ち葉拾いとは。
あまりお邪魔するのも悪いので、そのあたりで失礼した。
ル・レクチェを手にして、梨の木の下でかがんで見た、きれいな棚と地面を思い出す。
本日は、最後の一個、大事にいただきます。

2015-11-21 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

 

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