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かわいいお客様が三味線体験

朝川会では、見学、体験大歓迎。唄でも三味線でも、いつでも見学、体験を受け付けています。
先日は、小学校4年生のかわいいお客様が体験にいらっしゃいました。
学童で一度三味線は触ったことがあるとのこと。お茶も体験しているので、正座も大丈夫!と、元気いっぱいに三味線体験スタートしました。
きちんと正座してご挨拶の後は、まずは三味線の構えを説明。

では、持ってみましょう。「結構重い~。でも大丈夫!」

次に、撥の持ち方。「撥はこう持って。ちょっと変わった持ち方ですよ」

「じゃあ弾いてみましょう」
最初から空振りもなく、三本の糸も、ちゃんと弾き分けができました。
「すごい!筋が良いですよ」

学童の体験では、「きらきら星」の最初を弾いたとのこと。
それでは続きをと、音を教えたら、すぐにすらすら弾けました。

正座のしびれと戦いながら、最後は一人で「きらきら星」が全部弾けるように。
三味線を弾く姿も、決まってきました。

「楽しかった!」との嬉しい感想をいただきました。

ぜひよかったら、三味線始めてくださいね。お待ちしています。
三味線の見学、体験いつでも受け付けております。
ご希望がございましたら、ぜひ、ご連絡くださいませ。

2016-12-19 | Posted in ブログ, 朝川会Comments Closed 

 

「新潟しあわせ大学 平成会」で講演

花梨の実はすっかり落ちてしまった。玄関でいい香りを漂わせている。

12月15日、新潟市の万代市民会館で、講演しました。
お招きいただいたのは、毎月2回、研修やコミュニケーション活動をしている「しあわせ大学平成会」。当日は、100名程の会員の皆様にお越しいただきました。
講演のタイトルは、「江戸の音 三味線 端唄の魅力」
自己紹介から始まり、三味線の歴史や三味線音楽の説明、三味線と西洋楽器との違い、江戸の話、端唄は言葉を唄う、日本語人の脳と端唄などのお話を、端唄の演奏をとりまぜながら、1時間半お話ししました。
会場の皆様には、唄の掛け声をかけていただいたり、壇上に上がって鶯笛を体験していただき、三味線と「梅は咲いたか」を合奏したりと、皆さんにもご参加いただきながらの講演でした。最後は全員で「十日町小唄」を唄って終了しました。
ご来場した方々からは、「知っている曲が多くて楽しかった」「日本の音楽を知らなかった。わからないことを知るって楽しいですね」とお声をかけていただきました。
「三味線というと民謡は聞いていたが、端唄はいいものですね」との感想も。
これからも、ますます、端唄、三味線の楽しさを伝えていきたいと思っています。
講演のご要望等ございましたら、ぜひ、お声をおかけくださいませ。

2016-12-16 | Posted in ブログ, 朝川会Comments Closed 

 

端唄を現代語で

柵に絡まってたくさんの朝顔の実。そういえば、とってもきれいな青色の朝顔が咲いていたっけ。来年も楽しみにしています。

河出書房新社が出している、古典の現代語訳シリーズがある。池澤夏樹個人編集で、現代語訳も、学者ではなく、作家など、色々な人が訳しているのが、おもしろい。
なんといっても現代語で書いてあるのが、とっても面白い。
ああ、こういうこと言っているんだよね。わかるわかるという感じである。
先日のお浚い会を見に来た方の感想で、「とても楽しかったけど、現代語の唄ってないんですか?」というのがあった。
確かに、端唄は、今は使っていない言葉も多い。それがまた、いい感じということもあるのだが、唄の内容が、変に高尚なものと、感じられてしまうこともあるかもしれない。
そこで、ちょっと考えてみた。
「梅にも春」という曲がある。

梅にも春の色添えて 若水汲みか車井戸
音もせわしき鳥追いの
朝日にしげき人影の もしやと思う恋の欲
遠音神楽や数取りの 待つ辻占や鼠鳴き
逢うてうれしき ささ機嫌
濃茶ができたりゃ あがりゃんせ
ささ持っといで

確かに古文の教科書のようで、よくわからない。
これをえいやっと現代語に意訳してみる。

さあ今日はお正月 梅の花も咲いて初春に色と香りを添えているわ
今年の最初のお水を カラカラッと井戸から汲んでいる音がする
お正月になるとやってくる芸人の鳥追いの
歌や三味線の音がにぎやかだわ
初日の出を見てから初詣に行く人たちが
朝日に照らされて何やかやと話しながら大勢往来を歩いている
あれ?あれは私の好きな人の声?ドキドキしちゃったわ
お宮の神楽の音が遠くから聞こえてくる
今年の運勢はどうかしら 辻占早く来ないかしら
あら ネズミの鳴声を真似したあの人の合図
待ってたのよ 逢えてうれしいわ
お正月ですもの さっそくいっぱいほろ酔い気分
濃い茶ができたら召し上がれ
さあさあ 持ってきて

まあ、つまり、お正月のデートの歌ってことかな。

今だったら、こうなるかな?

ホワイト・クリスマス

どこもかしこも クリスマス一色で
プレゼント選びか 二人連れ
街にあふれる クリスマスソング
イルミネーションに行き交う人々に
あの人かもと 振り返る
パーティの賑わいに サンタの姿
雪が舞ってきた 待ち合わせ
逢えてうれしい イブの夜
シャンパン開けたら 乾杯ね
メリー・クリスマス!

2016-12-13 | Posted in ブログ, 邦楽Comments Closed 

 

万人の万人に対する

今日は新潟の冬とは思えないとってもいいお天気だった。一日青空、一日ぽかぽか。こんな日に露天風呂に入れたわたしは幸せ。夕焼けもきれいだった。

植物は、水や栄養が足りない時に、「これが足りません」「これが必要です」というサインを根っこから出すのだという。そうすると、地中の微生物たちが、探してきて、持っていってあげるのだという。
その話しを聞いた時に、わたしは、「なんでそんなことをしてあげるんですか?」と聞いてしまった。それをしてあげると、自分たちにも、何か良いことがあるのかしら?
それに対する答えはこうだ。「お互いがいないと、そこでは皆が生きていけないから」
うかつにも、私は、何かの行動の理由が、損か得かというところに、どっぷりはまってしまっていた。
そうか、そうだよなあ。
ガリレオが望遠鏡を発明して以来、遠くのものを見る目、小さなものを見る目が、どんどん科学技術の発展とともに進んできた。
遺伝子も解明されて、私たち人間も、あらかじめある設計図の通りに進んでいくもののような気がし、細胞の中までことこまかに観察され、私たちは、設計図通りに進む一つの流れに乗って動く機械のような気が、ますますしていた。
ところが、腸内には100兆個の微生物がいるのだという。更に腸だけでなく体内にはどこにでも微生物がいる。それに、細胞内にも別の微生物がゴマンといて、一緒に生きているのだという。
いよいよすべての設計図が明らかになるのだと思っていた、その地平線の向こうからやってきたのは、無数の一緒に生きる生命だった。こうなると、設計図では計り知れない、偶然の出来事が重なって、生きて行くという物語が進んで行くのだろうと思う。
では、なんで細胞の中に、腸の中に、無数の生き物が住んでいるんだろう。
それは、お互いがいないとうまく生きていけないから。だから、お互いに必要なものをプレゼントしあうのだ。
「万人の万人に対する競争」は、ホッブスが言った言葉だ。
だけど、万人の万人に対するプレゼント、だったんだな。
そんなことを思った時、ちょっとうれしくなった。そして、ちょっぴり涙ぐんだ。

2016-12-12 | Posted in ブログ, 自然Comments Closed 

 

江戸の時

今年最後の薔薇を、母が庭から切ってきた。
夜、静かだなと思ったら、雪が降ってきた。

「お江戸日本橋七つ立ち」という文句から始まる唄がある。さて、一体、何時頃出発したでしょうか。この質問の答えは、一つではない。
江戸時代は、時間の単位の長さが、一年を通じて変わる「不定時法」を使っていた。一日を夜と昼に分け、それぞれを六等分して、その一つを一刻(いっとき)とする。だから一刻の長さは、季節によってかなり変動する。
夜の昼の分かれ目は、明六つ、暮六つといい、現在の日の出、日の入りより、それぞれ約35分位早くて、遅い。かろうじて物が見える時刻だ。日本橋を出発した七つは、明六つの一刻前だから真っ暗ということになる。
「お江戸日本橋七つ立ち~高輪夜明けの提灯消す」
高輪あたりまで、一刻位かかったということになる。
この唄をもし現代の時刻に合わせたら、大変だ。
「お江戸日本橋を 夜明けの約1時間20分から2時間20分前に出発する(季節によって違うんです)」
という歌詞になる。
江戸時代は、外で仕事ができる時間だけ仕事をし、暗くなればご飯を食べてさっさと寝てしまう。一日の間の、今どれくらいかということがわかれば良かったのだと思う。それに、太陽の位置が時刻と一致しているから、大体の時刻がわかる。それはそれで、便利かもしれない。
なんとかものが見える時間が明六つと暮六つ。あとはそれぞれの間を六等分。なんだかすごく大雑把なようだけど、これを正確に一年中維持するのは、結構面倒くさい。かなり複雑なことをやって、時を管理していた。
逆に、人間は、時の鐘と太陽の位置で、一日を暮らしている。とてもシンプルだ。
今は、きっちり時間が決まっている。時を刻むことは、複雑ではない。
でも、代わりに人間の身体が、複雑な計算をしているのかもしれない。

2016-12-10 | Posted in ブログ, 江戸Comments Closed 

 

余っている?

先月、新幹線から撮った夕焼け。弥彦山と角田山がシルエットになっている。晩秋の夕焼けは、本当にきれいだ。

まだ20代でOLをしていた頃だ。管理職クラスの男性と、新幹線で出張した。
車窓の外に広がる田んぼを、私はのどかな気持ちで眺めていた。するとその男性が、「ここらはまだ土地が余っているねえ」と言った。
余っている?一瞬意味がわからなかった。ここは田んぼですけど。
「工場を誘致して開発すればいいね」などと話しを続けた。
そうか、そう見えるのか。田んぼというのは、無駄に見えるということだ。
田んぼがなくなってお米が作れなくても、工場ができれば、もっとたくさんお米を買えるお金が手に入るかということかな。
田んぼではなくて、野原や山ならば、もっと余っているように見えるのだろうで。そこには、キジやたぬきや、いろんな生き物たちが住んでいるけど、金儲けができなければ余っている、ということになるらしい。目の前にある色んなものが、何かをやるため、というか儲けを出すための道具、手段に見えるということなのだろうか。
景気拡大、売上アップとか、とにかく、大きくならなければいけないらしい。今までと同じでは、価値がないのだ。しかし、地球は前から同じ大きさで、これからも同じだ。際限なく大きくなることはない。
もしかして、こちらが大きくなるということは、誰かの分が減っているのではないだろうか。
もしくは、人間以外の生き物の分、さらにもしかしたら、未来の人たちや未来の生き物たちの分を、先にもらってしまっているのではないか。
余っている。本当は、そんな考え方が、すでに手に余っているのかもしれない。

2016-12-06 | Posted in つれづれ, ブログComments Closed 

 

好きな曲を

東京の街路樹も、落ち葉がふかふか。こちらは欅。大好きな木。

足元には、椿?山茶花?が咲いていた。

先日、あるお弟子さんのお稽古が終わって、次は何の曲にしましょうかという話になった。
「好きなのでいいよ」と言ったら、「次は何って決まっていないんですか?」と驚かれてしまった。朝川会では、最初は短くて簡単な曲をいくつかやるけど、そこから先は、自分の好きな曲でいい。その曲が長くても、難しくても、OKなのだ。
お弟子さんには、楽しくお稽古をして、上達してもらいたいと思っている。
全員が、楽しくお稽古して、上手になってもらうことが、目的だ。
楽しいお稽古ってなんだろう?
皆、それぞれ違う性格だし、曲の好みも違う。楽しくお稽古するためには、好きな曲をやることだ。いいなあと思っていた曲が、自分で演奏できるのは、本当にうれしい。
では上手になるには?
技術的に乗り越えようとしている部分は、その人、その時で違う。お稽古をしながら、このお弟子さんは、今は、弾き方の右手の方を修正するといいかな、とか、このお弟子さんは、今日は声の出し方をお稽古するのがいいかな?とか、色々と考える。だから、お稽古の内容は、人によって違うし、その場で変わる。
目的は同じでも、そこに到達する手段は、色々、別々、多様だ。
教本をつくって、カリキュラムを決めるってどういうことだろう。
手段を平等にすれば、結果は平等になるという公式だろうか。
そういうこともあるのかな。
朝川会は、目的が同じで、そこにたどり着く手段は色々というお稽古をしている。

2016-12-05 | Posted in ブログ, 朝川会Comments Closed 

 

同級会で端唄!

先日新幹線で通った越後湯沢駅。山の上半分だけが、白くなっていた。
いよいよ冬だ。

昨日は、OL時代の先輩の高校の同級会におじゃました。ちょっと演奏をとのことだったので、何がいいのかなあ、皆さん、端唄はご存知かしら?などと考えながらお店に伺った。
先生も含めて出席者は全員男性。毎年同級会をやっているとのことで、和気あいあい、最初から楽しく盛り上がった会だった。しばしの歓談の後、では演奏をということに。
「梅は咲いたか」、「さのさ」など、お馴染みの曲を数曲唄った後に、幹事さんから、「何かリクエストは?」とのお声がけ。
「からかさ!」との声に、からかさを唄った後は、「都々逸!」「朝顔は~の都々逸をやって!」「梅は咲いたかを唄いたい」「僕は木遣りくずしを唄いたい!」と、リクエストや唄のご希望が次から次へと続く。
「新内の明烏は?」などと端唄以外のリクエストまで飛び出し、びっくりでした。
仲良しクラス会の、素敵なおじさま方の、粋な教養に脱帽です。
こちらもすっかり楽しく過ごさせていただきました。
都々逸を一つ教えていただきました。
馬のふん 元を正せば すすきの穂
きりぎりす なかせた こともある

なあるほど。

2016-12-04 | Posted in つれづれ, ブログComments Closed 

 

葉っぱの毛布

いよいよ11月もあとわずか。朝から、ザアッと雨が吹き荒れたり、急に日が差したりと、お天気がめまぐるしく変わる。冬に入る頃のお決まりのお天気だ。

きれいな紅葉で目を楽しませてくれたドウダンツツジも、かなり葉を落としてしまった。さながら紅葉の絨毯。
大好きな木蓮の木の下へ行ってみる。

ほとんどの葉が落ちてしまった。これから降る雪にそなえて、地面はふかふかの木蓮の葉の毛布をかぶっている。準備万端。

木蓮のつぼみも、ふかふかの帽子を、すっぽり頭からかぶっているようだ。
雨が通り過ぎて、また青空が出てきた。花梨の実が、いくつかまだ頑張って枝についている。

こういうお天気の日は、うまくすると虹が見えたりする。
久しぶりに虹に会いたいなあ。楽しい冬になりそうな気がするから。

2016-11-28 | Posted in ブログ, 自然Comments Closed 

 

おしゃれなキャベツ

いよいよ寒くなってきた。昨日は、山が上半分真っ白になっていた。五頭山が三回白くなったら雪になると言われている。雪が降るのも、もうすぐか。
畑は、大根やネギ、蕪など、冬野菜が育っている。外は寒いけど、一日に一回は見に行きたくなる。
キャベツにきれいな水滴がついていた。まるくて透明で、きらきらしている。
なんだかすごい。

これはキャベツの装飾品だ。ダイヤモンドか水晶か。
こんなに透明でまん丸なのに、葉っぱの上にとどまっているのが不思議だ。
水晶で、ちょっとおしゃれをしたキャベツ。
翌日も見に行ったら、やっぱり水晶をいく粒か載せていた。こうやって晩秋の毎日を、ちょっとおしゃれをしているのだな。
きゅっと巻いたピカピカのキャベツ。
最後はおいしくいただきます。

2016-11-24 | Posted in ブログ, 自然Comments Closed 

 

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