余っている?

先月、新幹線から撮った夕焼け。弥彦山と角田山がシルエットになっている。晩秋の夕焼けは、本当にきれいだ。

まだ20代でOLをしていた頃だ。管理職クラスの男性と、新幹線で出張した。
車窓の外に広がる田んぼを、私はのどかな気持ちで眺めていた。するとその男性が、「ここらはまだ土地が余っているねえ」と言った。
余っている?一瞬意味がわからなかった。ここは田んぼですけど。
「工場を誘致して開発すればいいね」などと話しを続けた。
そうか、そう見えるのか。田んぼというのは、無駄に見えるということだ。
田んぼがなくなってお米が作れなくても、工場ができれば、もっとたくさんお米を買えるお金が手に入るかということかな。
田んぼではなくて、野原や山ならば、もっと余っているように見えるのだろうで。そこには、キジやたぬきや、いろんな生き物たちが住んでいるけど、金儲けができなければ余っている、ということになるらしい。目の前にある色んなものが、何かをやるため、というか儲けを出すための道具、手段に見えるということなのだろうか。
景気拡大、売上アップとか、とにかく、大きくならなければいけないらしい。今までと同じでは、価値がないのだ。しかし、地球は前から同じ大きさで、これからも同じだ。際限なく大きくなることはない。
もしかして、こちらが大きくなるということは、誰かの分が減っているのではないだろうか。
もしくは、人間以外の生き物の分、さらにもしかしたら、未来の人たちや未来の生き物たちの分を、先にもらってしまっているのではないか。
余っている。本当は、そんな考え方が、すでに手に余っているのかもしれない。

2016-12-06 | Posted in つれづれ, ブログComments Closed 

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