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柿、柿、柿
恒例の栗拾いに、今年も行ってきた。友人の農家さんで、お米と栗と筍を生産している。田植えと栗拾いのお手伝いも、もう7年目。東京、新潟のお弟子さんたちや弟と一緒だ。
「柿とザクロを持っていきませんか」と声をかけられた。
柿、しかも甘柿。なつかしい。昔、我が家の庭にもあった。よく遊びながら、もいで食べたっけ。同じゴマ柿だ。
「くださーい」とお願いしたら、枝ごとバシバシ切って山ほどくださった。
ざるに一盛りにしてみる。

いつもは店頭に並んでいる、きれいに形が整った果物ばかり見ているから、とても新鮮だ。
それぞれが、個性的で、なんだかお話ししているようでもある。
「今年は、夏にあまり日に当たらなかったから、甘くないかしら」
「お宅はまだいいわよ。私なんて、陰になっちゃって、ほら、あんまり色がよくないでしょ」
「わたし、黒いあざができちゃった。やだあ」
なんて、聞こえてきそうだ。
思えば、庭や畑にある果物は、みんな違う顔をしている。昔っからそうだ。一斉に熟れる訳でもないし、器量がいいのもあんまりよくないのもある。味だって、色々だ。
色々の柿が、色々並ぶ。色々あって、にぎやかだ。

おまけ。ざくろと一緒。
東京教室お浚い会 無事に終了!
10月21日(土)、第七回東京教室お浚い会が、お陰様で無事に終わりました。
週末は台風直撃か?と心配されましたが、なんとか普通の雨模様で開演。お足元の悪いなか、大勢のお客様にお越しいただき、日頃のお稽古の成果を発表いたしました。
オープニングは、6月に入門したばかりの新人の初舞台。兄弟子達が、鳴物で花を添えます。堂々とした初舞台でした。

今回も笛教室で一曲発表。鳴物の木柾を入れて。

台湾のお弟子さんは、台湾の曲「望春風」を三味線と唄で発表。

長い言いたてをよどみなく。「両国風景」を弾き唄い。

期待の大型新人Kちゃんは、今回は親子共演で「虫の声」。今回も落ち着いた舞台。

男性陣による演奏、「チンチリレンの合方」

後半のオープニングは、鳴物フルセットで「梅は咲いたか」

初舞台からベテランまで、日頃のお稽古の成果を発表しました。
打ち上げでは、「今度はあの曲をやりたい」「今度は太鼓をやってみたい」など、来年6月の研鑽会に向けて、盛り上がっていました。
来年は6月23日(土)が、第五回研鑽会です。
皆様、ぜひ来年もお越しくださいませ。

今週末です!東京教室お浚い会 10/21
東京教室の第7回お浚い会も、いよいよ今週末。出演者は、最後のお稽古に頑張っています。
10/9は、下浚い(リハ)でした。
期待の大型新人は、今回は親子共演。

今回も、太鼓や笛、小鼓など、鳴物にも磨きをかけ、合奏も色々。



大曲に挑戦も。

端唄、三味線の楽しさを、当日舞台で表せたらと思います。
皆様、ぜひお越しくださいませ。
第9回 新潟教室お浚い会 11/18
新潟教室のお浚い会も、9回目。新しく入った方、初舞台の方を加え、一層にぎやかに、日頃のお稽古の成果を発表します。
今回も、チラシの絵は東京教室の小西さん。小西さん始め、東京教室の有志も出演いたします。
会場は、明治の風情を残す元斎藤家本宅の一部を移築した「燕喜館」。
ちょっと三味線を聴いてみたい方、三味線を始めようかなとちょっと興味がある方、秋の一日、白山公園を散策がてら、お気軽にお越しください。
皆様のご来場を心よりお待ちしております。
・日 時 平成29年11月18日(土)
開場 13時半 開演 14時
・場 所 燕喜館
新潟市中央区一番堀町1番地2
・入場料 無料
・主 催 朝川会 (主宰 朝川玲伎)
・お問い合わせ お問い合わせフォームよりご連絡ください。


風と暮らす
そろそろ庭の紅葉が始まった。

久しぶりに会った友人。彼の実家は最近立て直したばかりだ。囲炉裏がある家から、おしゃれな感じの家に変わっている。
「ご実家新築したわね」と言ったら、「うん」と妙に浮かない顔。
「窓が少ないし、小さいんだよ。」そうだったかな?と思っていると、
「うちはね、山の方から風が吹くんだよ。だから、そっちの方に大きい窓があってね、家を通り抜ける風がとてもよかったんだ。なのに、新しい家は、そちらには窓が無いし、どこの窓も小さいから、風が通り抜けないんだよね」と言って残念がっていた。
「そういえば最近の家はみんなそうね。暖房の方を考えているのかな」と答えた。
「ちゃんとした設計士さんに頼んだらしいんだけどね」と彼は言っていた。
きっと、密閉度を上げて、光熱費節約、日当たりはいいが、家にはほこりが入らないように。色々あるのだろう。それはそれで、コストパフォーマンスの良い快適な住居なのかもしれない。設計士さんはちゃんとした仕事をしているのだ。
けれど、彼がなつかしむ暮らしは、風と暮らす暮らしだ。自在鉤が下がる囲炉裏のある部屋は、二階まで吹き抜けの天井の高い部屋だったそうだ。窓から入った風は、天井まで高く舞い上がり、そして抜けていく。なんてすてきなお家。
そういえば、きっと昔はそうだったのだ。風を見て、季節を知ったり、翌日の天気を予想していたりしていたのだ。
風は音や気配や、なにやら楽し気なもの、淋しげなもの、時に妖しげなもの、色々運んできてくれた。
「風と暮らす」ことを、友人から思い出させてもらった。
夕焼け
先日の夕方、「そろそろ上がらない?」と母を迎えに畑まで行った。
向こうの里山の方は、先ほど日が落ちたばかりで、きれいな夕焼けになっていた。お彼岸が過ぎると、空気も澄んできて、夕焼けも一段ときれいになる。この日は、山の上は薄い茜色の空で、その上に濃い灰色の雲が上の方へ広がっていた。その雲の下の縁だけが、すこし幅広に真っ赤な夕焼けになっていた。
「きれいな夕焼けだね」としばし二人で見つめた。空気はひんやりして澄んでいる。だんだん頬が冷えてくるのがわかる。
「自然は美しいね」と母は言う。
本当に自然は美しい。我が一族は、この地に住んで約400年。明治の先祖も江戸時代の先祖も、きっと秋の一日の終わりに、「きれいだな」と夕焼けを見ていたんじゃないかと思う。いや、もっと前の、我が一族がここに住む前に住んでいた人たちも、そう思って見ていたに違いない。
いや、もっともっと前の、まだ人間が言葉を持つ前の時代でも、美しい夕焼けを見て、「きれいだね」という思いで皆見つめていたに違いない。
何千年前?何万年前?わからないけど、きっとそうだ。
ふと、自分が太古の夕焼けにつながったような気になる。
夕焼けは不思議だ。そして大好きだ。
(この日の夕焼けは、写真に撮れなかった。これは別の日の夕焼け)

恋の力
今日は日中は、かなりの雨風。金木犀も、かなり散ってしまった。

父がお世話になっているデイサービスの職員の方から、父は「職員の中でお気に入りの人がいるんですよ」と聞いていた。どの人なのかなあと思っていたが、やっとわかった。
ある日、「おはようございます」とXさんが目の前に来ると、椅子に座ってうつらうつらしていた父が、急に満面の笑み、ニコニコ顔になった。そして、「ああでして、こうでして」ととたんにおしゃべりを始めた。
あれえ、いつもとずいぶん違うなあと思って見ていたら、すんなり玄関へ。
靴を履いたら、「じゃあ、行きましょう!」と元気にXさんに声をかけて出かけていった。
父は教師だったので、家族で出かけた時などは、修学旅行の引率よろしく、「じゃあ行きましょう」とか「次は、どこですよ」などと、いつも皆に声をかけて先頭を歩いていた。
そんな父を思い出し、やはり、気に入った人がいるというのは、一番の原動力なのだなあと、改めて思った。
男の人には女の人が、女の人には男の人がいるのが、やっぱりいいんだな、きっと。
ブータンでは、配偶者を亡くした人は、ほとんどみな一年以内に再婚するという。高齢者でも同じだ。夜中に気分が悪くなったりしたら、一人じゃあぶない。第一、夜中に背中がかゆくなっても、親や子供や兄弟は、掻いてくれない。人間は一人で寝るものじゃないのだそうだ。
「恋の力」だな。そういえば端唄は、ほとんど恋の唄だ。
柿が実るのだって、恋の力、だよね。

秋本番
東京教室の9月の勉強会「深川散歩」は、もののみごとに台風の日にあたり、やむなく中止。雨女の面目躍如か。
そして、新潟は、すっかり秋の装いだ。
まず香り。
先日、金木犀が咲いた。玄関を開けたとたんに、香りが飛び込んでくる。

毎日の日課の、庭と畑を一回り。
コスモスが咲いている。

その奥に、ヒガンバナ。

そのそばには、しっかり南瓜ができている。

庭には、クリーム色のヒガンバナ。

裏には、こぼれんばかりの萩の花。

今年もたくさん実がついた花梨。

赤トンボも二匹飛んでいた。
日中は暑い位でも、美しい夕焼けと共に、夕方からぐっと冷え込んでくる。
今、外は、虫の大合唱。
静かな夜だ。秋の夜。
わくわくする春と違い、なんだか心がすーっと澄んでくる。秋だね。
人生の「攻め方」
先日、新幹線の下の階から、ふと窓を見ると空が赤い。あわててデッキへ駆けあがる。ものすごく赤い夕焼けだ。赤が少しづつ消えて暗くなるまで、ずっとデッキで見ていた。秋だなあ。

昭和初期に東京に住んだイギリス人女性の書いた日本印象記を読んだ。その頃の東京の様子や庶民の姿がわかる。その中で、「人生の「攻め方」」という言葉があった。
「西洋人の人生の「攻め方」は、日本人の性には合わない。「攻め方」という言葉自体、西洋人と日本人の生き方の違いを見事に示している」と、書いてあった。
そうか。西洋人にとって、人生は、「攻める」ものだったんだ。
著者によれば、「人生が彼ら(日本人)の中や傍らを流れていきます。彼らはあせって人生を迎え入れたり、人生の舵を取るようなことはしません。流れが運んでくるものを受け取るだけです。流れが運んでくるものが富や高い地位であっても、驚いたことに彼らは何気なく利用するだけです」とある。
「攻める」と「流れる」。そういえば、日本庭園では水は流れるが、西洋の庭園では、噴水だ。
「その後も依然として地味な生活を好みますし、他の国民のように気取ることもないので、たとえ運が傾いたとしても私たちのようにショックを受けることはありません。高官や金持ちの質素な暮らしと、身分の低い者の暮らしは大して違いません。どちらも優雅で無欲です」と続く。
この本が書かれてから、約80年。人生は「攻める」もの、に、今は違和感を覚えない人も多いだろう。でも、ほんの少し前まで、日本人の人生は「流れる」ものだった。
「攻める」人生には、武器も鎧もいるだろう。それから戦略を立て、士気を鼓舞して進むことも。「流れる」人生には、何が必要だろう。きっと、流れを知り、流れに逆らわないようにすることだ。力を抜いて自然体でいることかなあ。
私は、どうだろう。やはり「流れる」だ。だって、三味線は流れるもの、端唄は攻める音楽じゃないから。
ランチショーで演奏しました
9月4日、ホテルヘリテイジ飯能で開催された「落語と端唄・小唄」ランチショー「林家たい平氏を招いて」で、鳴物(締め太鼓、小鼓等)を演奏しました。
この会は、小唄・端唄若宮流の家元、若宮三千代師匠が林家たい平師匠を招いて、毎年開催しているもので、わたくしも、ずっとご一緒させていただいています。朝川会の笛教室の先生、福原百麗さんもご一緒でした。
当日は、若宮三千代師匠の端唄小唄と、たい平師匠の端唄に、鳴物で参加いたしました。他にも津軽三味線あり、太神楽ありと、盛沢山の会でした。
たい平師匠の唄は、「東雲節」でしたが、もちろんただ唄うのではありません。笑いもたくさんの楽しい会でした。






