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端唄的生活
年末は、紅白歌合戦を見た。普段は歌番組をほとんど見ないので、新鮮だ。いずれも熱唱で、ステージも華やか、ああ、紅白っていうのは、やっぱりすごいなと思いながら、ふと、気が付いた。
歌詞に、恋愛とか、季節感とか、自然とかが、あまりないんだなあ。
人生とか、生き方とか、絆とか、感動とか、大切な人とか、観念、概念的なものが多いような気がする。
端唄は、ほとんどが恋の唄、それから花鳥風月か、ちょっとおもしろい唄だ。そういう意味では、端唄的な歌っていうのは、今は、少ないのかな。

今、目の前は雪だ。風も強い。大きめの雪が横殴りに吹雪いている。
昨日は散歩に行けたが、この天気では、今日出かけるのはちょっと二の足を踏む。
隣の家の竹林は、吹き荒れる風に、折れそうな位あちこち揺すぶられている。
圧倒的に、あちらが強い。
こちらは、ストーブの前で小さくなっているだけだ。
圧倒的に小さいわたし。
わたしの負けだ。
いいえ
勝ち負けなどない
だって、向こうに負かそうという気持ちがないもの
雪が、荒れ狂うように舞い始めた。
外は、厳しいさびしい景色だ。
冷たい空気をつんざくように、ヒヨドリが、ギーッと鳴いた。
一人でじっと雪をながめているのもいいけれど。
でも、だからこそ、人恋しい気持ちがする。
一人でじっと、誰かを思いながら雪を見るのもいい
誰かのところへ行って、「寒いから来ちゃった」とかいいながら、隣に座って一緒に雪を見るのもいい
端唄的生活 かな。
めずらしい元旦

予報は暴風雪だったのに、朝起きたら晴れ。
新潟のお正月にしては、めずらしい!
どうせすぐ雪になるのかなと思ったら、案外お天気がもった。
で、散歩に出てみる。

集落を出ると、広い青空。送電線の鉄塔がずらりと並んでいる。
通学路のすぐ脇にも一つあり、子供の頃、なぜがこの脇を通るのが、すごく怖かった。
下を通る時、ブーンと音がしているし、のしかかられそうな大きさで、ただただ怖い。

急いで脇を通りすぎてからも、何度も振り返っては、怖い、怖い、と思っていた。
あれはなんだったのかな。
むろん今は全然怖くない。

稲の切り株が残った田んぼに空が映る。雪が降れば、切り株一つ一つに丸く雪が積もって、お饅頭の行列になる。
遠くの山も、まだ全然白くない。ほんとうにめずらしいなあ。こんなお正月。

これを昨日アップしようと思って、今日になってしまった。
今、外は雪。
明日の朝は、全く違う景色になっているはずだ。
明日もまた散歩かな。
明日、BSN新潟放送のラジオに出演します
直前のご案内ですみません。
明日、12月22日(金)、BSNラジオ「中田エミリーのとりあえず生で」に出演します。
16時35分前後に10分弱、「とりあえず大人の習い事」というコーナーで、メディアシップ教室の
端唄三味線教室の紹介をします。
お時間ある方、聞いてくださいね。
沈む橋
今年は、雪が早い。もう何度か降った。でも、翌朝の日差しで、すぐに溶け、きらきらと光りながら消えてゆく。根雪には、まだまだだ。
四万十川の沈下橋というのを、何かのニュースで見た。川が増水すると、橋が川の中に沈んでしまうので、沈下橋というのだそうだ。増水時に、水の抵抗を少なくするために、欄干が無く、橋脚も低い。
「あれえ、これに似た橋、見たことがあるぞ」
そうだ。私の小学校のそばの川にかかる橋だ。幅は、軽トラックがやっと渡れる程で、欄干はなく、しかも木造である。
子どもの頃は、よくそこへ遊びに行った。欄干が無いから、すごく怖いのだが、思い切って自転車で初めて渡った時の、なんともいえない、「やった!」という気持ちを覚えている。
橋のたもとに自転車を停めて、河原でよく石投げをして遊んだ。低い角度で投げ、何回ジャンプするかを競うのだ。ひらべったい石を探すのが、勝つポイントだ。慣れてくれば男の子にだって負けない位、うまくできるようになる。
橋を渡った先の畑を越えると、土手がある。カラスノエンドウやシロツメクサなど、野草が沢山咲いていた。ここにあおむけに寝転がって青空を見ているのが、大好きだった。春は、上の方で、ひばりがいつも忙しく鳴いていた。
洪水があまりにもひどいと、その橋は流された。「橋が流れた」と何度か聞いたことがある。でも、木造で簡単な作りなので、すぐに再建される。
洪水はどうしても、時々は来る。その時は、この橋は、すっぽりと流れの中に沈んでしまう。自分の上を下を流れていく流れを、じっとそこにいて、感じているんだろうなと思う。すっぽり入っているから、流れがわかるんだろうなと思う。大きなものが流れてきて、橋にひっかかり流れを止めそうになる時、この橋は壊れて、ひっかかったものと一緒に流れてしまう。そういえば、橋が「壊れた」とは言わずに、「流れた」と言っていた。
壊れないように頑丈に作るのではなく、流れを止めないようなつくりの木の橋、そして、存在が災いをもたらしそうな時は、一緒に流れる橋。そして、すぐに、元通りに作ることのできる橋。
あの橋は、今、何代目なんだろう。来年の春は、また、自転車で一気に渡ってみよう。
第八回 東京教室勉強会 「文学作品と端唄」
11月25日(土)、東京教室の第8回勉強会を行いました。今回のテーマは、「文学作品と端唄」。
江戸から明治時代には、暮らしの中に、端唄、三味線の音がありました。明治時代の文学作品を味わいながら、作品の中に出てくる端唄、三味線音楽を楽しもうという企画です。
今回取り上げたのは、樋口一葉の「たけくらべ」と永井荷風の「深川の唄」。
作者の経歴を説明後、明治という時代は、どのような時代だったのかという時代背景を。明治という時代は、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争と戦争に明け暮れ、資本主義の拡大と共に、権力の集中、格差の拡大など、今日の問題の種の始まりでもあり、価値観の大きな変化があった大変な時代でした。
西洋文化の流入、江戸文化の終焉という時代でもあります。
次に、「たけくらべ」の舞台の吉原とは、どのようなところだったのか、そして、実際に作品を朗読しました。
あらすじを追いながら、端唄などが出てくるところは、実際にその部分を唄いながら、の朗読です。
「深川の唄」は、最後の部分を、端唄を唄うところを、唄いながら、朗読しました。
最後に、作品中に出てきた端唄、「忍ぶ恋路」「香に迷う」「明烏」「秋の夜」「更けて逢う夜」を、通して演奏。
作品中では、子供が口ずさんだり、通りを歩いていると漏れ聞こえてきたり、大道芸の演奏だったりと、様々ですが、暮らしの中に、端唄、三味線が、息づいていたことを、楽しんでいただけたと思います。
勉強会終了後は、参加者でプチ忘年会。こちらは楽しい女子会となりました。

なわとびかっとび王選手権
庭の上で、トンビがゆっくり輪を描いて飛んでいた。おおい、どこまで行くんだい。
だんだん上がって、小さくなっていった。

「なわとびかっとび王選手権」という番組を見た。毎年やっているらしい。大繩を回しているところに、何人かが一列になって、次々と8の字を描きながら1分間飛び続け、一番大勢飛んだチームが勝ちという大会である。
全国から小学生のチームが出場していて、大会に出るまでの練習や作戦なども、紹介されていた。どの学校も、1分間に何回、正確に縄を回すとか、何センチ間隔で、正確に飛び込むとか、そのような練習を一所懸命にやっている。そうだろうなあ、そういう訓練になるんだろうなあと、なんとなく見ていた。
そうしたら、一校だけ違うチームがあった。そのチームは、飛び込んでくる人たちに合わせて、縄を回す方が移動するのである。他の学校は、いつも同じ場所で同じ速さで回すようにしている。しかし、この学校は、縄を回す方が、飛び込んでくる様子を見ながら、自分たちが動いて、飛ぶ人がひっかからない角度、速さに微妙に調整しているのだ。
飛び込んでくる人の列の間隔も一定ではない。まちまちだ。ただ。できるだけ早く回ろうと走っている。それを見て、瞬時に縄を回す方が動くのだ。
先生が、回す方が動いた方が大勢飛べるかな?と言っただけで、後は、子供たちが自分たちで自分たちの型を作ったのだという。「僕たちが、皆を飛ばすんです」と回す担当の男の子は言っていた。
飛ぶ子たちは、息を合わせてただ飛び込んでいく。回す方は、瞬時に動きながら、しっかり飛ばせている。みんな楽しそうだ。
「このチームが優勝しないかなあ」と思った。
最初はノーミスで勝って行った学校も、勝ち上がっていくうちに、足がひっかかってミスをするようになる。結局、縄を回している方が動いている学校が、ノーミスで優勝した。
たくさん飛ぶためには、時速何キロで縄を回して、何センチ間隔で列が飛び込んで、それを機械のように正確にやれば、勝てる。確かにたぶん皆そう思う。でも、たくさん飛ぶためには、どうする?そこから考えたら、他のやり方も出てきた。そっちの方が、断然難しい動作のような気がする。でも、苦も無くできている。
飛び込んでくる方は、ただ飛び込んでくる。それに合わせて瞬時に動く。これは、決まった動作の反復ではなくて、いつも新しい、そして一回限りの動きだ。
そうだ。だから、いつも新鮮で、楽しそうなんだなと思った。
反復力を上げれば解決する、と思い込んでいることってないだろうか?
そんなことを思った。
第九回新潟教室お浚い会 無事終了!
11月18日(土)、第九回新潟教室お浚い会を、開催しました。
真冬並みの寒さの中、時折激しく降る雨に、「お客様、いらっしゃるかしら?」と心配しましたが、なんと、会場は満員。お足元の悪い中、お越しいただきました皆様、どうもありがとうございました。
この日のために、一年お稽古してきた成果を、発表しました。
最初はグループの発表。笛教室やメディアシップ教室の皆さんの、唄や三味線の発表です。



今回は、初舞台がお二人。
弾き唄いで2曲。

お一人で弾き唄いを発表。

鳴物入りの合奏も増えました。
東京教室からは、小鼓、鉦を入れて、にぎやかに。

男性陣による三味線の合奏も。

ベテランの方も、しっとりした曲や、楽しい曲、鳴物入りでの演奏を披露。

始めて太鼓に挑戦!

始めて笛のあしらいに挑戦!

うまくいった方、心残りのある方、思いはそれぞれですが、皆さん、堂々とした楽しい舞台でした。
打ち上げは、今日の反省や、来年の抱負、「端唄は奥が深い!」など、わいわい盛り上がりながら、楽しいお酒を飲みました。
翌日は雪の中、車で東京へ。
いやー、県境はすごかった!一日お天気がずれなくて、本当に良かったと胸をなでおろしました。
来年は、もっともっとパワーアップして、楽しい舞台を目指します。皆様、来年もぜひお越しくださいませ。お待ちしております。
立ち流し
先日、かやぶきの里、荻ノ島に行ってきた。なんとものどか。はるか昔からのなつかしさに、なんだか胸がいっぱいになる。

先日、母と弟と三人で話していた時だ。母が嫁いで来るときの思い出話になった。それまでは、しゃがむタイプの古い流し(台所)だったが、親類の人から、「旦那さんに言って、立ち流しにしてもらいなさい」と言われたのだそうだ。父は、それを聞いて、台所を立って作業できる立ち流しに変え、母は、最初から当時ハイカラだった立ち流しの台所に立ったということだ。
弟が、「立ち流しって、何?」と聞いてきた。
「ほら、親類の〇〇さんちは、台所とお風呂が同じ所にあって、しゃがんで料理作っていたの、覚えていない?」と、母と私が言うと、「そうだったかなあ」と首をかしげる。
「それにさ、まだ水道が来てなくて、台所には水がめがあったんだよ。水は井戸から汲んできてね」
「そういえば、お風呂は薪だったね」と弟。
「しゃがんで炊事も、井戸水も、薪も、江戸時代はみんなそうだよ」と言ったら弟が、「じゃあさ、日本人ってさ、ほんの少し前まで、江戸時代とおんなじ生活してたってことだよな」と驚いた。
そうだ。そうだよ。考えてみれば、母が嫁いできた昭和33年あたりから、暮らしはものすごい勢いで変化した。確かに、明治維新では、政治や経済は変わった。でも、暮らしは和装が洋装になったり、洋食が入ったりしても、それほど変わっていない部分もたくさんあったのだ。でも、第二次世界大戦後、本当に毎日の暮らしが、あっという間に変わってしまったのだなと思った。
「立ち流しで結婚生活が始まって、よかった」と母はうれしそうに言った。確かに湿気があり冷える台所兼お風呂場での、しゃがんでの炊事は、とても大変だろうと思う。今では、「立ち流し」なんていう言葉も、誰も知らないに違いない。
私は、E.S.モースの「日本人の住まい」という本が好きだ。そこに書いてあるのは、明治の家屋だが、私が子供の頃にみた暮らしの情景とあまり変わりなく、ひんやり湿った空気や、薄暗い土間の光などとともに、心にも体にもよみがえるものがある。今から100年以上前なのに、である。
しかし、私たちの少し後に生まれた人たちは、もう「立ち流し」を知らない。50年もたっていないのに。それほど短期間に劇的に、暮らしが変わってしまったのだ。
母の新婚の喜びの「立ち流し」、その言葉は、もう人々の記憶からは流れさってしまっている。
土浦で演奏しました 11/5
土浦でのお集りで、端唄の演奏をしました。場所は、明治22年創業の老舗料亭「霞月楼」。山本五十六やリンドバーグ夫妻などとも縁のある、すてきなたたずまいのお店です。
秋の味覚のお料理を召しあがりながら、お座敷で端唄を聞いていただきました。ご存知の曲では手拍子をうっていただいたりと、楽しい時間を過ごしました。

土浦は、予科練のあった街ということで、「霞月楼」は、海軍とも関係の深いお店だったそうです。特攻隊に出る前の送別会での寄せ書きの屏風など、お店の歴史もうかがいました。
翌日は、江戸情緒の残る街並みや、霞ケ浦を散歩。霞ケ浦からは、遠く潮来が見えました。

「潮来出島の~」と、思わず「潮来出島」口ずさむ。
江戸時代、交通の要所として栄えた土浦。水戸街道沿いの土蔵建築が並ぶ景観に、三味線の音色を重ねてみました。
たまちゃんずプラス1 はさぎの里で演奏
9月27日(水)、新潟市秋葉区のデイサービス「はさぎの里」で、「たまちゃんずプラス1」が、ボランティア演奏に伺いました。こちらの施設へは、6月に続いて二度目の訪問。まだまだ暑さの残る中、一重の着物でさらりと舞台へ。エントランスホールで、「梅は咲いたか」「さのさ」「奴さん」などの端唄を演奏しました。
一緒に口ずさんだり、手拍子を打っていただいたりと、皆さん楽しんでくださいました。地元の唄、「四季の新津」も、ご一緒に。
たまちゃんずプラス1、すっかり地域では、おなじみに!これからもボランティア活動を続けていきます。






