立ち流し

先日、かやぶきの里、荻ノ島に行ってきた。なんとものどか。はるか昔からのなつかしさに、なんだか胸がいっぱいになる。

先日、母と弟と三人で話していた時だ。母が嫁いで来るときの思い出話になった。それまでは、しゃがむタイプの古い流し(台所)だったが、親類の人から、「旦那さんに言って、立ち流しにしてもらいなさい」と言われたのだそうだ。父は、それを聞いて、台所を立って作業できる立ち流しに変え、母は、最初から当時ハイカラだった立ち流しの台所に立ったということだ。
弟が、「立ち流しって、何?」と聞いてきた。
「ほら、親類の〇〇さんちは、台所とお風呂が同じ所にあって、しゃがんで料理作っていたの、覚えていない?」と、母と私が言うと、「そうだったかなあ」と首をかしげる。
「それにさ、まだ水道が来てなくて、台所には水がめがあったんだよ。水は井戸から汲んできてね」
「そういえば、お風呂は薪だったね」と弟。
「しゃがんで炊事も、井戸水も、薪も、江戸時代はみんなそうだよ」と言ったら弟が、「じゃあさ、日本人ってさ、ほんの少し前まで、江戸時代とおんなじ生活してたってことだよな」と驚いた。
そうだ。そうだよ。考えてみれば、母が嫁いできた昭和33年あたりから、暮らしはものすごい勢いで変化した。確かに、明治維新では、政治や経済は変わった。でも、暮らしは和装が洋装になったり、洋食が入ったりしても、それほど変わっていない部分もたくさんあったのだ。でも、第二次世界大戦後、本当に毎日の暮らしが、あっという間に変わってしまったのだなと思った。
「立ち流しで結婚生活が始まって、よかった」と母はうれしそうに言った。確かに湿気があり冷える台所兼お風呂場での、しゃがんでの炊事は、とても大変だろうと思う。今では、「立ち流し」なんていう言葉も、誰も知らないに違いない。
私は、E.S.モースの「日本人の住まい」という本が好きだ。そこに書いてあるのは、明治の家屋だが、私が子供の頃にみた暮らしの情景とあまり変わりなく、ひんやり湿った空気や、薄暗い土間の光などとともに、心にも体にもよみがえるものがある。今から100年以上前なのに、である。
しかし、私たちの少し後に生まれた人たちは、もう「立ち流し」を知らない。50年もたっていないのに。それほど短期間に劇的に、暮らしが変わってしまったのだ。
母の新婚の喜びの「立ち流し」、その言葉は、もう人々の記憶からは流れさってしまっている。

2017-11-08 | Posted in ブログ, 昔の生活Comments Closed 

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