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行って帰らない道

我が家の庭には、紫陽花の木が20本位ある。姿も色もとりどりに、空梅雨の空の下、色をそえている。私の家族は紫陽花の花が大好きだ。

私の父は高校で数学を教えていた。母は専業主婦だ。私と弟を東京の大学に通わせてくれたのは、結構大変ではなかったかと思う。私はそのまま東京で就職し、自活できるようになった。勤め始めて何年か経った頃、父に、「東京の大学まで出してもらって、今まで色々とありがとうございます。これからは親孝行してお返しします」というようなことを言った。
そうしたら父は、「親に返したら、行って帰ってそこで終ってしまう。親にはいいから、それを別の人に返しなさい。そうすればずっと続いていくでしょう」と言われた。
ああ、そうだな。私の目には、親の姿しか映っていなかったが、その言葉を聞いて、自分の周りや、過去、未来、ずっといろんなことがつながっているし、つながっていくのだと思った。
私の近所では、野菜は廻る。そして、思いも、手渡しで、廻っていくのだな。
父も寄る年波には逆らえず、だいぶ昔のことを忘れている。今、父に「そんなことを昔言われたよ」と言っても、多分「わからない」というだろう。でもいいのだ。私は父からもらった。そして、それを誰かに渡し続ける。それが私の親孝行なのだと思う。
小西洋也さん 銀座で個展
朝川玲麻呂こと小西洋也さん(東京教室)は、絵描きである。学生時代から、マスメディアの一線で活躍する傍ら、絵をずっと続けてきた。実は、玲麻呂という名前は、絵描きである小西さんに、喜多川歌麿を意識してつけた名前なのである。
その小西さんの第四回目の個展「J’s BAR」が、6/29~7/4、銀座「文藝春秋画廊 ザ・セラー」で開かれた。梅雨空の下、朝川会のメンバーと早速駆けつけた。

今回も、油絵と水彩が、飾られている。水彩は、風景や、静物画。私は、野菜を描いたものが好きなのだが、今回も花が咲いたばかりのきゅうりの絵に、初夏の命を感じて、見入ってしまった。
油絵は、柔らかい、明るい色調のものが多く、なんだか幸せな気持ちになる。いつもちょこんと子犬がいるのは、愛犬のジャッキーの姿だ。会場には、ジュエリーデザイナーの奥様もいらっしゃった。
オープニングパーティでは、三味線をやっていることをカミングアウトし、絵の世界の小西さんしか知らなかった来場者の皆様からは、驚きの声があがったとか。
個展のあとは、東京教室のお稽古場に、小西さんの作品を飾る予定です。皆様、お楽しみに。
野菜は廻る

私がまだ小さい頃、毎週、村の寄り合いが行われていたような気がする。
周りがほとんど農家なので、農作業の打合せなどが多かったのだと思うが、それ以外にも、お祭りや、地域の行事やら色々とあったのだろう。ゆっくりと話し合いをしていたような気がする。そして、お酒を飲みながら、村の昔話や、地域の人々の近況などの情報交換をしていたのだろう。近所の人たちが、どこの家の誰はどこから嫁に来た、とか、どことどこは親類だとかいうことに、とても詳しいのに驚いた。それも何代も前からの話なのだ。
多分、みんなどこかで繋がっているよね、という気がしてくる。
どこの誰が具合が良くないとかいう情報も、重要だ。さりげなく知っていなければいけないし、お見舞いに行かなければいけないし。お見舞いに来てもらうことが大変で、病院に行っていることを、なるべく悟られないように、ということもあったかもしれない。
旅行のお土産なども、たくさん行き来していた。毎日の野菜のおすそ分けなど、もっと頻繁である。
りっぱな野菜を、「ありもんだから」と言って、置いていく。「ありもん」、家にあるものだから、という意味だ。豊かだなあと思う
「この前は、お宅から○○をいただいたから」から、などと言いながら、色々と届け合う。
皆さんに共通している感じは、「私は相手よりも、たくさんもらっている」という感覚だ。だから、常にお返ししなければと思って行動している。こうして、ぐるぐるとプレゼントが続いていくのだと思う。
我が家には、江戸時代の先祖が書いた書類がたくさんあるが、法事やお祝い事の時に、誰から何をいただいたかの一覧がたくさんある。いもだったり、大根だったり。これはいただいたリストであり、いつかお返ししなければいけないリストだ。これが、この地域で生活いく上では、非常に大切な書付だったと思われる。和紙で綴った帳面に、毛筆で細かい字でびっしり書いてある。
いつも自分は足りないと思っていると、贈り物の輪は、途切れるか、始まらないが、いつももらいすぎていると思うと、永遠にその輪は、続くのだろうな。
はて、私が止めている流れはないだろうか?落ち着いて、点検しなければ。
庭の民主主義

日照り続きの毎日に待望の雨が来た。二日間降った雨は、恵の雨だったが、虫たちが出てこないので、野菜の花の受粉はうまくいかない様だった。
今朝は、まだ、少し雨が残っていたが、ズッキーニの花を覗いてみた。

と、いたいた、いつものように、アリがびっしりと花の芯に集まっている。朝から働き者だ。
庭や畑には、色々な虫がいるが、アリというのは、本当にたくさんいると思う。花にはもちろんのこと、花壇や物干し場のテラスのふちや、切り株のまわりや、とにかく、たくさんのアリが列をなしているのを、よく見る。
子供の時に、考えた。
民主主義というのは、多数決だ。この庭と畑には、多くの生き物が住んでいる。花壇の花よりも雑草と言われる草の方がずっと多い。鳥たちもたくさん飛んでくるし、カマキリや、カブトムシや、いろんな虫もたくさんいる。人間はたったの数人だ。
もし、この土地のことで何かを決めようという時に、ここに住んでいる生き物全員が一票を持っていたとしたら、人間なんて、本当に小さい野党だ。
そして、アリは、一大勢力だろうな、きっと。
子供の頃に、アリの巣を掘ってみたことがある。アリたちがあわてて卵を運びながら逃げていた。水を入れてみたこともある。
好奇心からだったのだが、子供って残酷だ。
あの時は、アリさんごめんなさい。
共通言語

ミトコンドリアというものが細胞の中にある、というのは高校の生物の授業で習った。イモムシみたいな格好で、中にひだひだがあるような感じだった。その時は、そんなものがあるのかというイメージだけだった。
最近、もうちょっと詳しくなった。このミトコンドリア、生物の教科書では、細胞の中に、ポツンポツンと浮いているように見えたのだが、実は違っていて、細胞の中に、びっしりといるらしい。
そして、なんとミトコンドリアというのは、元々は独立した生物で、原核生物である古細菌に、原核生物である真正細菌(ミトコンドリアの祖先)が入り、やがて核をもった真核生物へと進化していったという説が有力であるらしい。それが証拠に、ミトコンドリアの中には、DNAがあるのだそうだ。
う~~~ん、だとすると、私だと思っているこの中に、かなりの割合で、別の生き物だったものがいるということ?
そして、このミトコンドリア、人間だけでなく、動物にも、植物にもみんなあるという。真核生物が多細胞生物になったのだから、当たり前と言えば当たり前だけれど。
とすれば、だ。人間も植物も、細胞の集まりで、その細胞の中は、びっしりとミトコンドリアが詰まっている訳だ。とすれば、全然違う生物だと思われていた私と植物は、かなりの割合で、同じものでできているということになる。う~~~ん。
もし、ミトコンドリア語という言語があれば、私と植物と動物はお話しできるかもしれない。宮沢賢治の世界だ。
実は私は、子供の頃、動植物だけでなく、風や雲ともお話しをしようとしていた。
「私と話ができるのなら、聞いてください。今、風を止めてみてください」と、通学路の途中の田んぼの真ん中で、風に一生懸命話しかけていたのだ。
もちろん風は止まなかったが。
「きれいだよ」と話しかけると、植物は綺麗な花を咲かせるという。もしかしたら、会話は成立しているのかもしれない。私たちの方が、返事が聞こえないだけかもしれない。
縁かいな
「縁かいな」という端唄がある。「夏の涼みは両国の」で始まる夏の唄。これからの季節にぴったりである。どういう唄かというと。
「夏の涼みは 両国の 出船入船 屋形船 上がる流星 星くだり 玉屋が とりもつ 縁かいな」
この唄はもちろん恋の唄である。
冷房の無かった江戸時代は、夏の涼みといえば、両国へ行って、川端か両国橋の上で、お金があれば船に乗って、涼むのである。
この唄に関する私の妄想はこうだ。
今でいう隅田川の花火大会、江戸時代では両国の川開きの日に、「ちょっと涼みがてら見に行こうよ」と、以前から思いを寄せている人を誘う。二人は両国橋の上で、行き交う船を見ながら涼んでいる。いよいよ上がる花火。(流星、星下りは花火の名前)「玉屋~!」「鍵屋~!」と叫んで楽しい夜を過ごす。その日がきっかけで、二人は結ばれる。こんな唄かなと。
この時の二人は、並んで同じモノを見ている。川面を行き交う船、そして上空の花火。いつでも二人は並んでいる。面と向かって、「君は僕の月だ太陽だ」と告白するのではない。もしかしたら、「来年も再来年も、ずっと一緒に花火が見たいなあ」程度のことしか言わなかったかもしれない。この光景は、映画「東京物語」を彷彿とさせる。あの映画を見たとき、老夫婦の並んで話す姿がとても印象的だった。二人は目をあわせない。けれども、二人の会話は寄り添っている。
北山修さんの書いた「共視論」を読んだときに、なるほどと思った。日本人は、見つめ合うのではなく、同じものを見て、心を通わせるのだそうだ。
「あの時同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が 今はもう通わない」という歌詞があったっけ。
浮世絵の親子や恋人同士も、見つめ合うのではなく、同じものを見ているのだそうだ。
幕末から明治に日本を訪れた外国人の多くが、日本の子供たちは、ちょっと大きくなると、小さい子をおんぶしている、そして、おんぶしたまま、皆で遊んでいる、と書いている
おんぶされているということは、まだ一緒に遊べないけど、みんなと同じものを見ているということ。昔は、子供たちは、よくお母さんにおんぶされていた。おんぶされているということは、お母さんと同じ高さの視点で同じものを見ているということだ。ベビーカーで見ているのとは随分違うかもしれない。
「縁かいな」が恋の唄というのは、最後の「玉屋がとりもつ 縁かいな」の言葉で、恋の唄とわかる。それまでは、夏の描写というか、スケッチのような言葉が続く。でもこれが、最後に恋の唄とわかると、スケッチがスーっと一冊のアルバムのようにまとまっていく。こういう唄が好きだ。
道ばたスイーツ
近所を散歩していたら、なつかしいものに出会った。グミの実である。

いやあ、懐かしい!子供の頃は、遊びながら食べるおやつだった。ちょっとぐにゅっとしていて、微妙な渋みがある。食べてみたら、変わらぬ味だった。これ、よく食べたなあ。裏庭にあった。
裏や横の庭には、食べられるものがたくさんあった。ごま柿、すもも、栗、くるみ、なつめ、いちじく、柿。よく遊びながら、もいで食べたっけ。
歩きながら、そこらへんでもいで食べたものもたくさんある。

桑の実もそうだ。このあたりは、昔は養蚕が盛んだったので、子供の頃は、桑の木はそこらじゅうにあった。実が赤いうちは、まだかたくてすっぱい。黒っぽくなると柔くて甘くておいしい。この果汁は、濃い色で、洋服につくと大変だった。
母の実家は、里山の麓なので、いとこ達とよく山へ遊びに行った。そこで始めて木苺を知った。黄色いとがったつぶつぶの実を、「木苺だよ」と教えてもらった。これがまた美味しかった。
道端のおやつは、お金を払わなくても、種をまいて育てなくても、季節になるといつもあった。
今考えると、子供にはなんてありがたいおやつだったんだろう。
心をこめて、「いただきます」
花の共演?
近所の川沿いにきれいな桜並木がある。桜のシーズンは人が訪れるが、それ以外は、たぶんあのあたりを歩く人はあまりいない。
数年前、私はその川沿いの道を散歩コースにしていたのだが、そこで思いがけない景色にあった。
5月末、桜並木の下は一面の除虫菊の花園になっていたのだった。桜の葉陰にゆらゆらゆれる白い花が続く光景は、本当にきれいだった。それ以来、私の中では、隠れた我が地区の名所となり、毎年楽しみにしていた。
先日も、そろそろかなと、行ってみたのだが、花が、無い。
今年は早く下草を刈っちゃったのかなと思ってそばに行ってみると、桜並木の下に、1m間隔位で4列に、ずっと小さな棒が並んでいる。棒のそばに行ってみると、そこには小さな椿の苗木が植わっている。
これはいったい何だろう?

桜並木の下に、ぎっしり椿の苗木を植えることは、どういう意味があるのだろう。桜の木の下では、日光が十分に当たらず、育つのは大変ではないか?もし、育ったとしても、桜の幹の周りにも椿の苗木があるのだから、桜の木がかわいそうではないのか?だいたいなんで、桜の幹の周りにまで、きちんと1m間隔おきに、苗木が植えられているのか?

謎は深まるばかりだ。
よく見ると、椿の苗木には、「織姫」とかなんとか、色々な名前の札がついている。いろんな種類の椿を植えたらしい。
しかし、植えっぱなしになっているので、すでにところどころ枯れているのもあった。
はたして、来年は、桜が例年のように元気に咲くのか。それとも椿と桜の共演なのか。はたまた除虫菊に覆われるのか。
土手のはずれに、少しだけ除虫菊が咲いていた。
来年は、はたして。
さわり妄想
三味線の音で重要なのは「さわり」である。これは、三本の糸のうち、一番低い音を出す糸を、わざと棹の一部に微妙に触れさせることによって出る雑音である。
構造的には、三本の糸の低い音の糸だけを少し低くすることによって、その糸を弾く時に、棹の上の部分につけた角に微妙に触れるようになっているのである。
三味線の調子(チューニング)は主なものが三種類あるが、いずれも互いの糸が、開放で弾く時や特定の場所を抑える時(勘所)共鳴するようになっている。一の糸(一番低い音の糸)に共鳴する時に、ジョワ~ンというような雑音のような響きがする。これが「さわり」である。
今まで三味線を見たことも聞いたこともほとんど無いお弟子さんが、この「さわり」の音を聞いて、「この三味線は壊れている」と思ったと、言われたことがある。
たしかに、ピアノ、ギターなど、耳慣れている西洋音楽の楽器には、無い音である。
でも、この、「さわり」がなければ、三味線の音は、なんだか間抜けな、なんともつまらない音になる。「さわり」あっての三味線なのである。
きれいなハーモニーで、雑音なく共鳴する音楽、それも美しい。でも、私たちの祖先の江戸時代の日本人は、琉球から渡ってきた時にはなかった「さわり」を、わざわざ三味線につけた。これは日本人の工夫だ。
ただ雑音なく共鳴する音が、日本人には物足りなく感じた、何か違うと感じたのだろう。
庭の木々や、川、山、いずれも左右対称にきれいな形をしているものは無い。人間の顔だってそうだ。きれいな図形のように刈り込まれた植木よりも、いびつな形の方がなごむ。
顔も性格もいろんな人がいるし、その方がおもしろい。落語の登場人物だってそうだ。そしてそれらの人たちの間に優劣はない。色々いるところで、お互いがいきる。
そんなことが、「心地よいこと」と感じられるから、三味線にも「さわり」をつけたのではないかな、と思う。
「さわり」とは、「触る」ものだし、「障り」があるものだが、それがいいんだと思う。
アリは、列を組んでせっせと食べ物を運んでいるが、中には、どういうわけが列を外れて、ふらふらしてしまうアリがいるらしい。そういうアリが、また、別の食べ物をたまたま発見してくるのだという。集団行動では「障り」のあるアリかもしれないが、別の意味では良いことをしているアリだ。
CDの音より、LPの音が好きだ。
均一なきれいな紙よりも、和紙が好きだ。
さわりから、色々と妄想が広がる。
妄想も、生活では障りかもしれないが、でも、そういう妄想が、また、何かになったりする。
グローバルな三味線

三味線は、永禄年間(1558~70)に、琉球から堺の港に伝来したと言われている(異説あり)。蛇皮を張った二本弦の楽器を琵琶法師が弾いたのが始まりと言われ、それで、撥で弾くようになったとか。
三味線には様々な改良が加えられて現在の形になった。皮も蛇から色々と試して、猫や犬に落ち着いたのだと思う。
三味線の材料は、糸(絹糸)以外は、ほとんど、輸入品である。ギターでいうネックにあたる棹は、紅木、紫檀などであるが、すべて輸入品。なかでも一番高級とされる紅木は、インドでしか取れない。糸巻きや撥、駒に使われる象牙はアフリカ、撥や駒に使われるべっこうはキューバ、胴に使う花梨は東南アジア。皮も現在はほとんど輸入品である。
江戸時代は、鎖国をしていたと言われるが、海外との交易が無かった訳ではなく、幕府以外の者の海外との交易を禁じ、交易する国と場所を限定していただけで、世界中の物は入ってきていた。国内外の材料を色々と試しながら、三味線の形ができてきたものと思う。
三味線の材料は、ほとんどが動植物由来である。文化というものは、やはり自然界からの贈りものがなければ成り立たないものである。
三味線の材料は、ほとんど国外から来ている。もし、交易ができなくなれば、三味線という楽器も現状の形では維持できなくなるということである。文化というものは、時の社会とも強くつながっている。日本の文化だからといって、日本だけが無事であればそれで成り立つということはない。
三味線音楽は、江戸時代に花開いた音楽だ。そして、その音楽を演奏し、楽しんだのは、庶民だ。庶民が、芸能に従事し楽しめる。これは平和な時代ということだ。
文化は平和だからこそ、大きく花開く。三味線音楽が、これからも続いていき、日本人のみならず世界の人たちが楽しんでいくためには、やはり平和が必要だろうと思う。
芸能は祝ぐことが原点だと言われる。それは、平和を言祝ぐのであろう。







