茶化す
江戸のものは、何かと茶化しているものが多い気がする。歌舞伎だって、落語だって、茶化しているものが多い。江戸時代の枕絵だって、そうだ。今、あのような写真なぞを見るには、人目をはばかってしまうが、江戸時代は、皆で笑いながら見ていたらしい。もちろん女性も見る。江戸の大人向け滑稽本「黄表紙」が私は好きなのだが、これだってそうだ。男女間のこともあけすけなら、人魚を舐めると寿命が伸びるだのと、破天荒な話が多い。これが実に面白い。自分のライブでも、何度か語ったことがある。日本には、こんなに面白いものがあるのを知らないなんて、もったいない~。と思って、皆に知って笑ってほしかったのだ。
とかく、何かを考えたり、やろうとしたりすると、だんだんに思考行動の範囲が狭くなり、固まってしまうことはままある。真面目にやればやるほどだ。それを逆手に取って、権力側からうまいこと不利益な方に誘導されてしまうこともある。そちらの方が、なんだか正論に思え、異論を挟むのはよくないのかなあと思わされてしまうのだ。
そんな時に、「えいっ」と茶化すのだ。笑った後に我に帰る。あれれ、なんで、この方向でいいなんて思ったんだろうと、正気に帰る。茶化すということは、知らず知らず絶対化してしまったことを、相対化してしまう力だ。時の幕府の政治を茶化した本が元で、黄表紙作家の山東京伝は、お縄になったことがある。茶化すといっても、結構人生かけているのだ。作者だけではない、その本を出版した人達もそうだ。
江戸の茶化す文化は、なにやら大きな力のような気がする。大樹に寄るのではなく、自分の足で立つぞといっているような庶民のエネルギーか。
善玉、悪玉ってよく聞くけど、あれは山東京伝が作ったキャラクターだ。悪い心をおこしてはいかんというお話の脇役だった悪玉が、当時、人気者になり、歌舞伎の踊りにもなった。その悪玉踊りの振り付けの図解書「踊ひとり稽古」という本もヒットしたという。
一度、皆で踊ってみたら面白いんじゃないだろうか。
踊りの姿は、こんなだ。