病気にならない病院

東京教室研鑽会は、無事に終了。レポートは近日中にアップ予定。
研鑽会の翌日に東京は梅雨入り、新潟はまだまだ。庭にはあざみが咲いている。

先日同窓会紙を読んでいたら、「病気にならない病院」、未病の病院を作るのが夢だったと書いている方がいた。その方は、いろんな医師に声をかけたが、一緒にやろうという人はいなかったと言う。
未病の病院を作るということに賛同する医師がいないというのは、色々な理由があるのだと思うが、病気にならないようにすることは、医者の仕事ではないということなのだろうか。確かに、医者の仕事は、病気を治すことだと、なんとなく思っている。
病気にならない、という仕事は、医者の仕事ではないのかもしれない。
ふと、病気にならない生活指南というものが、江戸時代にあったのを思い出した。貝原益軒の「養生訓」である。「養生訓」には、身体と精神を養生することで、病気にならないようにということが書いてある。貝原益軒は、儒学者だ。
病気を治すには、医者や薬が必要かもしれないが、病気にならないということには、必ずしも医者や薬が必要なのではなく、自分の行いで、できることなのかもしれない。
そうすれば、たしかに病気にならない病院を作ろうという医者がなかなか見つからなかったのも、頷ける。
病気にならない道を進むための運転手は自分、そして車は自分の身体。
「養生訓」は、そのためのナビなのかもしれない。

2016-06-09 | Posted in つれづれ, ブログComments Closed 

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