ミミズ

今朝は雨、今は上がって夏空が広がっている。

新潟も梅雨があけた。連日、夏日だ。夏草たちは、今を盛りと庭に畑に生い茂っている。日中は暑いので、朝の早い時間と夕方に草取りをする。
ここは良い土だなと思って草を取っていると、ミミズが出てくる。「やはりいたか、ありがとう」と思う。
ミミズは、良い土を作ってくれる。ミミズがたくさんいる畑はよい畑だ。
ミミズは単純な形をしているので、ごく下等な動物と思われがちだが、違う。祖先は複雑な形態をしていた。ミミズは地中生活に合わせるため、複雑な形から単純な形に更に進化したという。進化というと、より複雑に、より精密になると思いがちだが、どうやらそうでもないらしい。
三味線も、単純な構造のため、「原始的楽器」と言われることがあるらしいが、それも違うのではないかと思う。
より、自由な音を求めるとき、その欲求に合わせるため、いかようにも音が出せるように楽器の構造が単純になる方向に進化した、ということも考えられると思う。
三味線にはドレミがない。最初はとまどったが、今では、三味線にドレミを考える方が、窮屈だ。たとえば三味線で、仮に洋楽の「ファミレミ」というメロディーをある曲で弾くとした場合、「ファ」の音の高さ(周波数)は厳密にはいつも同じではない。
それは、その時の曲の感じかもしれないし、その日の気分かもしれない。そして、その人の性格にもよるかもしれない。
たとえば、同じ曲でも、しっとり演奏したい時は、ファの音が低めかもしれない。その人がその日気分が高揚していれば、高くなるかもしれない。落ち着いた性格なら、音は低めかもしれない。
では、どれが正解なのか?それは、すべてだ。その演奏が、心地よければ、それでいいのだ。心地よい演奏とは、同じ周波数を再現することではなく、たぶん別のものが物差しになっている。
音が狂っている、と思われるかもしれない。でも、それは、この音は、この周波数でなければいけないという物差し、きまり、思い込みがあるからだ。
その物差しを固定の周波数ではなく、その時の気分の良い音、という物差しに変えればいいんじゃないかと思う。
こういう音楽は、原始的だろうか?それとも進化形だろうか?

2016-07-27 | Posted in ブログ, 自然, 邦楽文化Comments Closed 

関連記事