象のこと2
隣の家のザクロが、今年も実ってきた。よく見ると、まだ蕾のものから、大きくなったものまで色々だ。わざとずらして実っているんだろうか?少女からお母さんまで、勢ぞろい。
象の音を拾った研究者が、田園で音を拾ってみたら、ものすごくたくさんの音で埋められていたという。なんと、ミミズが穴を掘る音も、録音されたという。
それで思い出した。今年の春、新潟に帰った時だ。家の玄関について庭を眺めた時、とてもたくさんの楽し気な音で、あたり一面が埋め尽くされているような気がした。あれは、ちょうど、桜が終わって、沢山の花が咲きだし、木々が芽吹きだし、草が一斉にはえる頃だった。
私は、とても不思議な、そして、満たされたような楽しさに包まれながら、これはなんだろうと思っていた。天気は晴れ、春先の優しい光が庭に降り注ぎ、楽しい音、もしかしたら唄も?、で満ち溢れていた庭。
あれは、本当に、たくさんの音で埋め尽くされていたんだな。
根が伸びる音、ミミズが土を掘る音、芽が出る音、花が開く音、、、、。
耳が聞こえるといわれている周波数以外の音も、もちろんあるし、音として聞こえなくても、感じることはできるのだと思う。それは、象がいるということを、全身で感じたことと同じかもしれない。コミュニケーションは、言葉だけではないし、音だけでもない。
海辺の崖の上の象と、岸辺に寄ってきたシロナガスクジラは、会話をするという。
海中でもっとも大きな動物である鯨と、陸上でもっとも大きな動物である象が、人間には聞こえない低周波でコミュニケーションをしている。人間が言葉だと思っている範囲以外で、色んな生き物がコミュニケーションしているとしたら、なんだか人間は、悲しい。
他の生き物とコミュニケーションすること。それはできないことなんだろうか。それとも忘れてしまったことなんだろうか。
象のことを思っていたら、はっとした。三味線と象は、切っても切り離せない。撥と駒は象牙でできている。自分の手の内に、象のものがあった。この象と会話ができるだろうか。三味線の音は、象と一緒に作っているのかもしれない。