自由な三味線

昨日、東京は夕方雷雨。その後、きれいな虹が出た。しかも二重の虹!良いことありそう?新潟では、ナツツバキが花ざかりだった。

三味線のチューニングは、「調子を合わせる」、という。洋楽しか知らなかった私は、基本的な調子が三種類あると知ってびっくりした。ある調子の時は、「ド」の音の場所が、別の調子だと「ミ」になる。それを頭で置き換えようとしたが、こんがらかって、わからなかった。しかも、三本の糸の音も、唄う人の高さに合わせて、全体に上げたり下げたりするという。絶対音感を誇っていた私は完全にパニックだった。
さて、どうするか。考えてもどうしようもないので、何も考えずに、ひたすら習ったまま、繰り返して弾くだけにした。そうしたら、耳と手が直結して、そのように弾くのが当たり前になってしまい、絶対音感など忘れてしまった。
三味線のチューニングは、一番低い音の糸を、どの音に合わせるかで決める。調子は数字で表し、4本なら洋楽でいうド、6本ならレだ。しかし、これもたんなる目安で、たとえばいつも4本で唄っている人でも、「今日はちょっと調子が悪いから、4本メリで(メリとは低いという意味)」となったりする。糸をちょっとゆるめるだけなので、どんな高さでも自由自在である。
最初はびっくりしたが、こっちの方が、合理的なんじゃないか?そんな気がした。たとえばピアノなら、ちょっと低く唄いたいとなったら、転調しなければならず、とても大変だ。黒鍵が多くなったりして、弾きにくくなったりする。でも、三味線は、全体を上げ下げするので、どんな高さでも、弾き方は一緒だ。
それにピアノの場合は、半音の半分低くなど、できない相談だ。それを思うと、三味線は、なんだか、とても、自由で楽しい気がした。
目の前に立ちはだかる壁を前に、「どうやって乗り越えましょうか?」と言っている人たちの横で、壁の脇をするっと通り抜け、「登らなくても、横からきたらどうですか?」と向こう側から言われているような気がした。
でこぼこの道がずっと続くのを前に、「どのように舗装しましょうか?」と言っている人たちを横目に、靴をはいて、さっさと歩き出している人を見たような気がした。
なんだか、発想の転換というか、そうか、人間が合わせなくても、そっちを動かせばいいんじゃない?という、あっけらかんと脱力した、愉快な気分がした。
非常に精巧な楽器を作って、出来上がったものに使う人間が合わせる。もしくは、自由自在になる部分を多く残したシンプルな楽器を作って、使う人間に楽器をあわせる。どちらかだ。
私が、三味線が好きなのは、そんなこともあるのだな。

2016-07-05 | Posted in ブログ, 邦楽Comments Closed 

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