沈む橋

今年は、雪が早い。もう何度か降った。でも、翌朝の日差しで、すぐに溶け、きらきらと光りながら消えてゆく。根雪には、まだまだだ。
四万十川の沈下橋というのを、何かのニュースで見た。川が増水すると、橋が川の中に沈んでしまうので、沈下橋というのだそうだ。増水時に、水の抵抗を少なくするために、欄干が無く、橋脚も低い。
「あれえ、これに似た橋、見たことがあるぞ」
そうだ。私の小学校のそばの川にかかる橋だ。幅は、軽トラックがやっと渡れる程で、欄干はなく、しかも木造である。
子どもの頃は、よくそこへ遊びに行った。欄干が無いから、すごく怖いのだが、思い切って自転車で初めて渡った時の、なんともいえない、「やった!」という気持ちを覚えている。
橋のたもとに自転車を停めて、河原でよく石投げをして遊んだ。低い角度で投げ、何回ジャンプするかを競うのだ。ひらべったい石を探すのが、勝つポイントだ。慣れてくれば男の子にだって負けない位、うまくできるようになる。
橋を渡った先の畑を越えると、土手がある。カラスノエンドウやシロツメクサなど、野草が沢山咲いていた。ここにあおむけに寝転がって青空を見ているのが、大好きだった。春は、上の方で、ひばりがいつも忙しく鳴いていた。
洪水があまりにもひどいと、その橋は流された。「橋が流れた」と何度か聞いたことがある。でも、木造で簡単な作りなので、すぐに再建される。
洪水はどうしても、時々は来る。その時は、この橋は、すっぽりと流れの中に沈んでしまう。自分の上を下を流れていく流れを、じっとそこにいて、感じているんだろうなと思う。すっぽり入っているから、流れがわかるんだろうなと思う。大きなものが流れてきて、橋にひっかかり流れを止めそうになる時、この橋は壊れて、ひっかかったものと一緒に流れてしまう。そういえば、橋が「壊れた」とは言わずに、「流れた」と言っていた。
壊れないように頑丈に作るのではなく、流れを止めないようなつくりの木の橋、そして、存在が災いをもたらしそうな時は、一緒に流れる橋。そして、すぐに、元通りに作ることのできる橋。
あの橋は、今、何代目なんだろう。来年の春は、また、自転車で一気に渡ってみよう。

2017-12-05 | Posted in つれづれ, ブログComments Closed 

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