江戸の時
今年最後の薔薇を、母が庭から切ってきた。
夜、静かだなと思ったら、雪が降ってきた。
「お江戸日本橋七つ立ち」という文句から始まる唄がある。さて、一体、何時頃出発したでしょうか。この質問の答えは、一つではない。
江戸時代は、時間の単位の長さが、一年を通じて変わる「不定時法」を使っていた。一日を夜と昼に分け、それぞれを六等分して、その一つを一刻(いっとき)とする。だから一刻の長さは、季節によってかなり変動する。
夜の昼の分かれ目は、明六つ、暮六つといい、現在の日の出、日の入りより、それぞれ約35分位早くて、遅い。かろうじて物が見える時刻だ。日本橋を出発した七つは、明六つの一刻前だから真っ暗ということになる。
「お江戸日本橋七つ立ち~高輪夜明けの提灯消す」
高輪あたりまで、一刻位かかったということになる。
この唄をもし現代の時刻に合わせたら、大変だ。
「お江戸日本橋を 夜明けの約1時間20分から2時間20分前に出発する(季節によって違うんです)」
という歌詞になる。
江戸時代は、外で仕事ができる時間だけ仕事をし、暗くなればご飯を食べてさっさと寝てしまう。一日の間の、今どれくらいかということがわかれば良かったのだと思う。それに、太陽の位置が時刻と一致しているから、大体の時刻がわかる。それはそれで、便利かもしれない。
なんとかものが見える時間が明六つと暮六つ。あとはそれぞれの間を六等分。なんだかすごく大雑把なようだけど、これを正確に一年中維持するのは、結構面倒くさい。かなり複雑なことをやって、時を管理していた。
逆に、人間は、時の鐘と太陽の位置で、一日を暮らしている。とてもシンプルだ。
今は、きっちり時間が決まっている。時を刻むことは、複雑ではない。
でも、代わりに人間の身体が、複雑な計算をしているのかもしれない。