母の随筆
新潟もようやく雪が降って、庭はいつもの雪景色だ。
先日、母が「あなたが子供の頃のことを書いているから、私も書いてみた」と、照れくさそうに言い出した。最初は、「たいしたことないよ」とか言って見せてくれなかったが、「読みたい!」と言ったら、ようやく見せてくれた。ボールペンできちんと書いた母の随筆。昭和10年代の子供時代。こんなんです。
「私の遊び場」
八十歳という節目を迎え、今まで無事に過ごせた事に、感謝する日々を送っている。私の母は七十四歳、主人の母も七十四歳で亡くなっている。両親に心配をかけた体の弱かった私がと思うと不思議でならない。
色々大病もしたが、家族揃って皆、元気なのも、自然の恵を受け、また、ご先祖様のご加護と感謝している。
私の幼い頃は、親に言われた、子供なりにできる仕事をすれば、夕暮れまで遊んでいた。家の近くの神社に行けば、いつでも遊び仲間が大勢いた。
かくれんぼ、鬼ごっこ、ままごと遊び、こま廻し等、色々な事をして、日が暮れるまで遊び、とても楽しかった。
また、お寺も近くにあり、行けば、違う仲間が大勢いた。裏山をキャアキャア云いながら、かけ廻ったり、三十三観音をお参りしながら、山の頂上に行き、遠くの平野を眺め歓声を上げていた。
冬は大きな橇に仲間と乗り込み、年上の男の子が先頭に乗り、梶取りをする。
皆、しっかりと前の人に抱きつき、どきどきして待つ。梶取りが「いいか、行くぞ!」と大声で声をかける。こわくて目をとじたいのをがまんして待つ。参道の上の山門から、途中の川を渡り、お寺への入口まで、一気に下るのだ。
皆、キャーキャーと歓声とも悲鳴ともつかぬ声をあげ、すべり下りた。
春には、山遊山という行事があり、親が餅を持たせてくれ、観音山に友達と遊びに行った。向かいの山でも、山遊山に来て大きな声を出しているのが、聞こえたりしていた。
親は忙しさもあるが、あまり、うるさい事は言わなかった。子供を信頼して、思う存分遊ばせてくれたのだろう。
今でも当時の遊び仲間の顔が浮かぶ。
社会人になってから、なつかしくて行ったことがあるが、こんな薄暗い道を、キャーキャー云いながら、かけ廻っていたのかと感心した。
山の上からの眺めは変わらなかった。
一時、幼い頃にもどり、涙がにじんだ。
足腰の丈夫なうちに、思い出の場所に行ってみたくなった。