虹を渡って



父の命日を、金木犀忌と言おうと自分で決めた。四十九日は、11月初めと思っていたら、お寺の都合で、一週間ほど早まった。その日は、朝から時々ざあっと雨が降る、荒れ模様の日だった。
「お墓に行く時に、雨にならないといいけど」
心配は的中し、納骨の後のお経という時に、ざあっと降ってきた。お寺様は傘をさしながらお経をあげ、我々は、少し離れた屋根の下に、雨宿りをしながら手を合わせた。
「おとうさん、まだ行きたくないのかな」
母がつぶやいた。
屋根ではねた雨が、内側に吹き込んでくるほどの、土砂降りだった。だだをこねている子が、大泣きしているようだった。
お経が終わり、お寺様が帰っても、しばらく雨は止まなかった。が、突然小降りになり、さあっと日が差してきた。
「あ、虹」
先祖代々のお墓の上に、大きなきれいな虹がかかった。そして、みるみるうちに、二重になった。
「きれい」
思わずみとれていると、父が、いつもの満面の笑顔で、「はははっ」とばかりに、ぱーっと虹の橋を滑り降りて、行ったような気がした。
大地から立ち上がった大きな虹は、しばらくかかっていた。
「おとうさんたら」
涙目の母が、うっすら笑っている。
我が家では、父の四十九日は、虹渡りの日となった。

2018-11-06 | Posted in つれづれ, ブログComments Closed 

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