明治の歌

今年は、ツララをたくさん見た。すごく大きいのも何個も屋根から下がっていた。
子どもの頃は、これでちゃんばらやったっけ。
カンカン、と2、3回ですぐ折れちゃうんだけどね。

幕末から明治にかけて、日本を訪れた外国人が、日本について書いたものを読むのが好きだ。もちろん江戸の人が書いたものも好きだが、江戸時代が終わろうとしている時に、別の文明からきた外国人が書いたものを読むことで、逆に江戸が分かったりすることがある。
明治には、西洋に追いつけということで、外国人大学教授がたくさん招かれた。明治16年6月、文部省から招聘をうけた音楽会の返礼として、フェノロサ、モースら四人の外国人大学教授による四重唱の会が行われた。モースたちは、「すべての名誉を兵士に捧ぐ」などの歌を大いに威勢良く歌った。会の後、200人の教師たちの歌の印象を知る。それを読んだモースは、戦争の栄光を褒め称える歌は、「この感情が静かな日本人にとって、むしろいやらしかったと知り、多少恥ずかしい気」を覚えた。そして、「その後我々は、日本人が、詩でも散文ででも、戦争の栄光を褒め称えたりしたことは、決して無いことを知った」と追記しているという。
しかし、このわずか数年後には、「抜刀隊の歌」など、軍歌がどんどん作られていく。この変化はなんなのだろう。明治という時代は、それまでずっと続いてきたものが、とんでもなく変わった時代なのではないかと思う。
平成30年は、明治維新150周年らしい。明治時代とはなんだったのか。
それがとても気になる。

2017-02-05 | Posted in つれづれ, ブログComments Closed 

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