ホームは美しい


月に何回も新潟と東京を往復しているので、上越新幹線にはよく乗る。いつも自由席だ。北陸新幹線ができてからは、乗る人が減ったので、ぎりぎりでも十分座れるのだが、早めに行って、並んで待っている。キヨスクと駅弁売り場が背中合わせになっているその境目あたりが、いつもの場所である。
ホームで働いている人を見るのが好きなのだ。9時台の新幹線に乗る時は、ちょうど駅弁を補充に来る時間だ。大きな台車に山と駅弁を積んで、お兄さんがやってくる。何種類もの駅弁を順番にどんどん運びこんでいく。大量の駅弁がよどみない素早さで台車から無くなっていく様子は、爽快だ。
一番好きなのは、列車の中をお掃除する人たちの仕事ぶりだ。
列車がホームに入る前は、一列に線路の方を向いて整列している。列車がホームに入ってくると、皆で列車にお辞儀をする。これが揃っていて、とてもきれいだ。
それから、ゴミ袋を広げて、降りてくるお客さんを迎える。その間、チーフらしき人は、ホームを歩きながら、忘れ物がないか車中を覗いてチェックしている。
客の降車後はすばやく乗り込み、無駄のないスピーディな動きで、列車の清掃を始める。ヘッドセットのマイクで、他所との連携を取りながら、清掃終了。終わるとホームに一列に並んで、待っているお客様の列に向かって一礼する。この動きも揃っている。とても気持ちがいい。美しい。
私は、必ず清掃チームに向かって、お辞儀をかえす。こんなことをするのは、私だけだが。
チームはさっそうと、次の仕事に向かっていく。揃いの帽子には、季節の飾りがついている。8月は朝顔だったかな。秋には紅葉になる。これもいいなと思っている。
先日、テレビを見ていたら、フィンランドの人が京都に勉強に来ていた時に、お母さんを亡くしてしまい、とても悲しかったが、日本には美しいものがたくさん身の回りにあり、とても慰められた。お母さんを亡くした悲しみから立ち直れたのも、日本の美しいもののお陰だと言っていた。
美しいということは力だ。美しいもので人は癒されるとすれば、美しいものを増やすことは、積極的平和主義なのかもしれない。
数学の授業で、「複素数」を初めて習った時、「これは面白い」と思った。家に帰り、高校の数学教師だった父に、「今日、複素数を習ったよ。面白いね」と報告したら、父は、「複素数か。複素数は美しいだろう」と嬉しそうに応えてくれた。
私は数学が好きだった。それは、美しいからだったかもしれない。
美しいものを増やしたい。物でも時間でも考えでも。

2015-08-22 | Posted in つれづれ, ブログNo Comments » 

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