風と暮らす
そろそろ庭の紅葉が始まった。
久しぶりに会った友人。彼の実家は最近立て直したばかりだ。囲炉裏がある家から、おしゃれな感じの家に変わっている。
「ご実家新築したわね」と言ったら、「うん」と妙に浮かない顔。
「窓が少ないし、小さいんだよ。」そうだったかな?と思っていると、
「うちはね、山の方から風が吹くんだよ。だから、そっちの方に大きい窓があってね、家を通り抜ける風がとてもよかったんだ。なのに、新しい家は、そちらには窓が無いし、どこの窓も小さいから、風が通り抜けないんだよね」と言って残念がっていた。
「そういえば最近の家はみんなそうね。暖房の方を考えているのかな」と答えた。
「ちゃんとした設計士さんに頼んだらしいんだけどね」と彼は言っていた。
きっと、密閉度を上げて、光熱費節約、日当たりはいいが、家にはほこりが入らないように。色々あるのだろう。それはそれで、コストパフォーマンスの良い快適な住居なのかもしれない。設計士さんはちゃんとした仕事をしているのだ。
けれど、彼がなつかしむ暮らしは、風と暮らす暮らしだ。自在鉤が下がる囲炉裏のある部屋は、二階まで吹き抜けの天井の高い部屋だったそうだ。窓から入った風は、天井まで高く舞い上がり、そして抜けていく。なんてすてきなお家。
そういえば、きっと昔はそうだったのだ。風を見て、季節を知ったり、翌日の天気を予想していたりしていたのだ。
風は音や気配や、なにやら楽し気なもの、淋しげなもの、時に妖しげなもの、色々運んできてくれた。
「風と暮らす」ことを、友人から思い出させてもらった。