音樂
暑い暑い毎日に、熱い色で鮮やかに咲くケイトウは、夏に合う。
「和音は心地よく不協和音は不快だという感覚は、人類が生まれながらに共通して持つ」という見方が、これまでの常識だったらしい。ところが、西洋音楽に慣れていないアマゾンの先住民は、不協和音を聞いても不快に感じず、和音と不協和音で好みに差はなかったということが、先ごろ米国などの研究チームによって研究結果としてまとめられたという。
三味線音楽には、西洋音楽的な和音は無い。三味線は単音で弾くことが多く、時々二つの音を一緒に弾く。三本一緒に弾くことは、まず無い。唄は、斉唱である。
ハーモニーは、音に厚さと膨らみを持たせるものだ。では、三味線音楽は音が薄っぺらなのかというと、そうではない。
三味線には、「さわり」がある。「さわり」とは、一番太い糸が微妙に棹に触ることによってでる雑音(ノイズ)である。これが、音に厚さと膨らみを持たせているのだ。勘所というところを押さえて音を出すと、糸(弦)同士が共鳴する。そしてその糸を弾いていなくても一番太い糸(弦)も震えるので「さわり」の音も出る。三味線の音に倍音と雑音(ノイズ)が共に加わる。糸を弾くと同時に、太鼓の構造になっている部分も撥で叩くのでその音も加わる。ハーモニーではないが、和音よりも複雑な厚さと膨らみが音に加わる。
三味線音楽は、ハーモニーを聞くのではなく、「音」そのものの複雑な厚さや膨らみを聞くものなのではないかと思う。
江戸から明治になって、新しい学問の体系を作る時、「音学」という名前にしようという提案に対し、江戸音曲で育った人たちは、「それは絶対にだめだ。違う。「音楽」でなければならない」と主張したという話を読んだことがある。
音は学ぶものではない。音は楽しむもの。音色を聞いて楽しむもの、なのだと思う。