時も人なり
新幹線から見た雲。ものすごいスピードで走っているものと、止まっているようなもの。
小さい頃から、植物や動物に話しかけていた。生き物だけでなく、石や、時には風にも、話しかけていた。
身の回りのものを、擬人化することが、あまりにも当たり前で、何とも思っていなかった。
年末、新潟に帰る時は、「お正月が来たって、わからないと困るからね」とか言いながら、玄関のドアに正月飾りをつけ、「じゃあ、行ってきます。よいお年を」と部屋に声をかけてから、新潟に帰っていた。
最近ふと思った。
時、も、人なんじゃないか。
「遅い」だの、「もう行くの?」だの、時に対してぶつくさ言っているのは、実は、かわいそうなことなんじゃないか。
そういえば、「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」と芭蕉は言っていた。
元をただせば、李白の詩だ。
そう、昔から、時も人だったのだ。
毎日、毎月、「こんにちは。ようこそ」と、時をお客様のように迎え、「ありがとう、いってらっしゃい」とお見送りする。
そんな時さんとのお付き合いも、いいなあ。
一度、擬人化すると、もはや他の見方はできない。
毎朝、「おはようございます。いらっしゃいませ」という気持ちになる。
時は人なり、だな。