十歳
先日、本を読んでいたら、十歳というのは、ひとつの節目だとあった。そうかもしれない。
十歳になった時のことは、よく覚えている。
「私は十歳になった。もう一人前だ。大人になった。これからはなんでも自分でできる」と、思った。「だいたい子供はいつでも一人前の子供なのに、大人はなんで半人前扱いをするのだろう」などと思っていた子供だったので、十歳というのが、一つの区切りになったような気がしていた。それから反抗期になり、心身ともに大人になっていくのであるが、十歳になった時の感じはよく覚えている。
宮沢賢治の「雪渡り」というお話の中に、兄さんを誘ってもいいかと言った主人公が、狐の幻灯会に行けるのは11歳以下であると、狐に断られるところがある。昔は数えだから、やはり十歳が分かれ目となるのかもしれない。
ずっと子供ではいられないんだ、と、本当に実感した時、幼い時に亡くなったひいおばあちゃんの顔が浮かんできた。「そうだ私は死ぬんだ」と思い、恐い夜を、布団をかぶって過ごした。それも十歳だ。
十歳になり、大人になろうとするときに、捨てていかなければいけないもの、忘れてしまうことがあるのではないかと、悩んでしまった。そんな時、宮沢賢治のことを思い出した。
宮沢賢治は、あのような不思議な、どちらかといえば科学的ではないお話しをたくさん書いているが、自然科学の知識もたくさん持っている人ではないか。だから、大人になり、勉強して知識をつけていっても、今、大事だと思っていることは、なくなってしまうことはないんだ、と安心し、大きくなることを受け入れたような気がする。
十歳までに読んでいたとっても好きだった物語は、最後に主人公が死んでしまうお話しだった。十歳までは、あちらの世界に戻ることもまだできたのかもしれない。十歳を越えて、こちらで生きていこうという小さな覚悟ができたような気がする。